コラム・百姓から見た世のつれづれ

じゃがいも堀り始まる今日もサバイバル それで?

さて 6月に入りまして ようやくじゃがいもの収穫が始まりました 5月の終りごろまで昨年のじゃがいもを出荷して こうして間髪いれずに じゃがいもをほりあげて 新じゃがとして出荷して行きます 継続してできるだけ長く出荷し続けること できるだけ早く そして できるだけ長く出していく事 少しでも家庭菜園をおやりになれば 1年間出荷し続けるということが どれだけ大変な事かお分かりになるかもしれません 日本の消費者は 24時間いつでも開いていて いつでも商品がきっちりと並んでいるスーパーというものを基準として考えております ゆえに 僕のような農家は そこと常に比べられます つい 先日のこと・・・大根と玉ねぎに泥がたくさんついていて・・と お客様から連絡をいただきました はい 20年前にはなかったクレームです スーパーには土のついたものは置いてありません 有機だろうがなんだろうが関係ありません それが 令和 という時代において 農業をやっていくということの意味です いやならばやめればいいのです 僕の代わりはいくらでもいます ネットにはたくさんの有機野菜があふれ返っています ライバルはしこたま 需要は0・17パーセント・・・今日も明日も最前線はサバイバル

100パーセント自己主観な意見その1・・・ゆえになんらの客観的なものはございません 大学を出て 社会に入り いろんな世界を見て 大人として成熟していく 時には結婚もし 家庭を持ち 住処である 家を買う 世間的にも社会的にも決定権を持ち始めて 世の中のどこかの一部分を担う感覚を味わい始める 収入も上がり どこから見てもきちんとした 社会人 という器になるのかもしれません・・・・さて そうして 自分自身もなんだか満足をして もしかしたら 定年を迎えたりして ほっとするのか 充実感を味わうのか・・・とにかく 一人の男として なんらかのやり遂げた感のようなものがあるのかもしれません さて 問題はそこからです・・・・それで? ということなのです そのようにして生きてきて 次は なんですか? ということです 僕が一番言いたい事です もちろん素晴らしいでしょう おめでとうございます! 上がりの人生でしょう! それで? 人としての本番はむしろ そこからなのではないでしょうか? サバイバルを勝ち抜いて あなたは生き残ったのですよ だとして そこから何をするのか? それが 腕の見せ所なのではないでしょうか?

僕には不思議でしょうがないのです なぜ この国から生まれないのでしょう? 24時間無料の病院 犯罪被害者となり 両親を亡くした子供に大学までの学費を支払う組織 20年の間赤字の企業だけども 商品が素晴らしくつぶれない会社  電力の作り方に意義を唱える民間人を集めて新たな自給的電力を作る会社 身障者だけのプロリーグ 決して勧誘しない宗教グループ・・・・優秀な人はごまんといるはずのこの国の大人 なぜ こうした新たなものが生まれてこないのでしょうか? あったら絶対おもしろい!と思われる 新しい仕組みのようなものが なぜ この国で生まれないのでしょうか? 50代60代70代の立派な男の大人に僕は問いたいのです・・・それをするのに 命も金もすべてを賭けてやってみようとは思いませんか? と・・・・人生はこれで上がり というゲームだとは思いません 生き残るゲームでもありません 新しいことをやっていくチャレンジなのだと思います・・・・僕は 53になりましたが 1ミリでもいいから 何か新しいことをやってみたい 今まで既存になかったものを作って行きたい と思っています まだ 何者も手にしていない 常にそう思っています あと 何年生きていられるのかわかりませんが 最後まで そう思って やっていくつもりです・・・・合掌

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