環境問題

隣の畑 そしてまともな若者

ea0f0e54.軽トラを修理に出す 夕方には引き取り なんとか部品もあって 今日中に治った 点火プラグの配線が 古くて漏電していた模様 また金が飛んでいった で修理屋のおっちゃんに言われる これもうがた来てっから早く買い換えた方がいいよ はあー やはり・・・もう昭和の時代の車なんてそこらじゃ走ってなかんべー と笑われる 

今日の写真 この荒れ果てた土地は僕の隣のほったらかしの畑 もう何年も貸してくれといってるのだけど貸してくれない この畑 草の丈はゆうに2メートルは超える 今まで何回か 僕が無償で草を刈ったけどもう刈らない こうして打ち捨てられていく畑が目の前にあるのを見るのはつらい 

お昼頃 2月の僕の畑を使ってのちょっとしたイベントを企画している農大生 Y君 K君が打ち合わせにやってくる お茶飲みながらいろいろ話す 僕は彼らの倍ぐらいの年だけど二人ともしっかりとしていて 農 のことを真剣に考えている そして僕のやっていることもよく理解してくれていて素直にうれしい どんなイベントになるか楽しみだ おじさんも参加させていただくので 若者達といいお話ができればと願う

で 今日話していてなるほどと 感じたこと 僕がいろんな環境系などのイベントやシンポジウムなどに参加していて思うこと それは絶望感がないこと 僕自身は自分で畑やっていて もう日本の農業や 里山 田舎などは かなり状況的には厳しい 絶望的だと認識している それは数字やデータを見るまでもなく 日々の体験からそう思う 先の隣の畑の例を出すまでもなく 全日本的にそうした動きは年々広がっている 過疎の村はそのうち廃村となり 田舎暮らしブームや若者の新規就農者たちの 何倍ものスピードで 農 は打ち捨てられていっている そうしたことを踏まえたうえで じゃあどうしたらいいのか? という議論なり話し合いをしたい といつも思っている でも 多くの場合そうした雰囲気は おしゃれな雑誌や こじゃれたイベントではみじんも感じられない そこに違和感をいつも感じると 先のK君 Y君に話すと 彼らには 伝わっているのを感じる Y君 もう2年以上 僕の 毎月行っている 畑の会に参加してくれている 畑の会はもちろん半分遊びなのだけど 畑の体験 百姓の農作業の体験を感じてくれたらと思ってやっている 彼はその2年の中で 僕の感じていることが 言葉以外の部分で伝わってるように感じる それがうれしい

同じくK君 里山保全を中心に ピザガマの専門家でもある 彼も実際に現実と向き合っているだけに 同じ共通の認識をもてる そして彼のやりたいこと そうした環境系や各NPO団体などの 横の連携をとって それぞれの信条を乗り越えて新たな全体を見渡した プロジェクトや 組織つくりをしたい との思い うん 素晴らしい

是非とも 若い彼らの意図するものを作るべくお手伝いしたい それは僕ら大人の責務だ
社会の中心となっている 30 40 50代の大人たちが いかに今の世を変えられるのか その刃は常に自分自身に突きつけられている と言ってもいいんじゃないかな?

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