コラム・百姓から見た世のつれづれ

一層の乾燥機と教養

39661474.さて 今ごろになって梅雨本番の様相 雨ばかり 洗濯ができないのが痛い もう着る服がなくなってきた 服といっても野良着だけど そういえば巷では乾燥機なるものが 新たな3種の神器といわれるそうな あとはお皿洗い機だっけ? うーん 一層の洗濯機でしかも乾燥までする というのは 僕の想像を遥かに越えている そんなの使ったら罰があたりそうだ どうせ買えないけど・・・・今日の写真 がんがん収穫している 米なす でかいよ

今日の出荷 一本目のきゅうりが終わり 2本目となんとか繋がる ほっとする トマトがこの雨で いっせいに割れ始めた これも仕方ない 天候が晴れないので 上の段に行くに従い 実付きが悪い 8月にはいるまでに一旦途切れそう 今日も雨の中の出荷作業だった
 
以前 評論家の立花隆氏が 東大の大学院かなんかの教授になったとかで インタビューを受けていて その中で 彼曰く(最近の東大生は試験などは要領よく点を取るけど 実際に話してみると 教養が足りないのが明白だ) とのこと へー そうなんだ とその時思った 教養 いい響きの言葉ですね 教養って なんだろうか? 僕が思うに 知識プラス想像力ではないのか 社会に出て 必要とされたり 人を見るにあたり 知識の量やその質で判断されることって 実際にはそんなにないのではないかな と思う もちろん法律だとかの特殊な専門知識が必要な仕事とかには あたはまらないのかもしれないけど 僕自身は 知識の量で 判断することはあまりない それよりも 想像力たくましい人やそれを感じさせる取り組みなんかに出会うと 興奮する 想像力がないと 1つの行動のその先にあるもの 水溜りに石を落とすように どう影響していくのかを 全体を見ることができないと思う 幸いなことに 百姓という仕事は知識は知っていて当たりまえ そこを技術を磨いて 知恵のレベルにまで 発展させていく仕事 野菜を作るということは 知識のその奥にあるものを見定めていく作業にほかならない そのレベルにまで到達するとおそらくは 教養なるものが 身に付くというよりも 体から にじみ出てくるのではないかと思う 教養のきょの字ももたない 貧乏百姓の僕ににとっては 一生縁遠いと思うけど そんな境地に近づけたら 草むしりも 苦痛じゃなくなるのかな? (たぶんそれはそれで 苦痛か)

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