ネイティブ・アメリカン

落花生と ネイティブ・アメリカンの教え

bc926016.朝から 雨 久々にしっかりと降る 昨日の晩洗濯して干していたのが これでぱー 相変わらず天気予報は当たらない 朝収穫していると肌寒いぐらい 思わず出荷小屋で暖かいお茶を沸かして ふーふーしながら飲む 雨は体さえ濡れなければ けっこう好きだ 畑も喜んでいるし・

今日の写真 出荷を始めた落花生 ほんの少ししか実がついてなくて お客さん全員には行き渡らないかもしれないけど なるべく入れたい 端境期の切り札として 作付けたけど どうやらこれもそれほど 役には立ちそうにない

9月に入った お客様の中には これで最後の宅配セットになる人が出てくる 今日のお客様もお一人 最後のご挨拶のちらしを入れる ああ この方はもうこんなに長い付き合いになるんだ とか ああこの人は・・・など 出荷表をめくりながら 感慨深いものがある まずは あと一ヶ月 がんばろう

自己実現と自己犠牲 ネイティブ・アメリカンの儀式 スウェット・ロッジ というものに出会って もう15年ぐらいになる もう数えられないぐらい 体験した その中で学んだことの1つに自己犠牲というものがある 

その儀式は セレモニー・リーダーと呼ばれる人がいて(通常 メヂィスンマンと呼ばれる)その人がセレモニーをリードするのだけど それをサポートする役目が ファイヤーマンと呼ばれる つまり儀式の間中 リーダーとその儀式に参加する人のために全てを捧げてサポートする人のことをいう ファイヤーマンの仕事は まず火を炊き付けて 石を真っ赤に何千度の熱さで焼き上げるために 火と自分を繋げる がんがん薪をくべながら 儀式を始める準備をして 始まったら 門番のように 入り口で膝をついて 終わるまでの数時間 共に祈りながら ひたすら合図を待ち続ける 僕はこの仕事をたくさんやって それまでの自分が 自分のためだけに生きてきたんだな ということを痛感した もちろん当たりまえのことだけど たぶんみんな 自分のために生きている もちろんそれで 何の問題もないだろう

そして ファイヤーマンの仕事で求められるものは 自己犠牲である 儀式の間中 僕はいつもずっと辛くて 大変だった 何の見返りもなく自分を捧げ ただ参加している人のためにだけ 自分は存在している お医者さんや 看護の方 消防員など 人のために働くごく限られた人の役割や気持はこんなにつらいのかな? とか思った はっきり言って 若いときから 僕は傲慢だったと思う 今も多分にそうだと思う でも このファイヤーマンをやって 違う視点を自分に取り込むことができたのかもしれない 

自己実現と自己犠牲 人が生きて幸せになるには この両方のバランスが大事だと思う どちらか片一方を強調することは 多いと思うけど 実はこの両方がその人なりのバランスが取れたときに その人が輝くことができるんじゃないかと 思うのです

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