ネイティブ・アメリカン

所有という概念 ネイティブ・アメリカンのやり方

bfb85896.なぜ 私の靴下は左の親指から次々と穴が開いていくのか?残るのはすべて右ばかりなり・・

さて 今日の写真 はい 人参発芽!してきました ようやくです 播いた種がすべて発芽したわけではありませんが なんとかなる可能性が出て参りました ほっとします この戦いは 5分5分の痛みわけといったところか あきらめずに水撒いてよかったです

今日のねた バイト先での会話 茨城県の鹿島付近の近海ではいわゆる漁業権というのは ないそうだ その昔 組合なのか詳細は不明だが 漁師をしていた団体に登録していた人たち全員に 鹿島近海を開発するにあたり 一人数千万円の補償でもって この漁業権を買い取ったそうだ なので 今は鹿島にはいわゆる 漁師 というものは表向き存在していないということらしい ふーむ ただ 海はもともと誰のものでもないので 今でも あさりやらを取って 生活している 元漁師という人もいるそうな・・・ つまり 誰でもボートかなんかに乗って 釣りをして 取った魚を売りさばいても特にどこから文句がでるわけでもないらしい で バイト先の先輩いわく (もともと漁師なんて 流れてくる魚取って生活しているんだから 自分達のものでもない海の漁業権なんてほんとは おかしな話だよなー それでお金補償してもらったってんだから まったく・・・) と言っていた 僕は海のことや この事実が本当か また 言っていることが的を得ているのかどうか 判断する材料を持っていないので なんともいえないけど 海が誰のものでもない というのだけは はっきりとした 事実だろうと思う

翻って 僕ら陸地の百姓はどうかといえば 日本の法律では 農地というのは悪法と呼ばれる 農地法というのに縛られていて たくさんの制限があり 売り買いはもちろん 貸借関係にも普通の土地と違い いろんな約束がある 土地というものも もとは誰のものでもないわけだけど その土地が 経済の根幹をなしていて いまさらそんな青臭いことを言ったところで どうなるものでもないことは 明らかだろう 
 ただ ネイティブ・アメリカンの世界では 所有 という概念は存在しない 自分がたまたま今持っているものは キープ しているという解釈 なので 彼らは土地には本来境界線もなければ 物の所有権というものもない まさにジョンレノンの歌 イマジン である
4日間飲まず食わずて踊るというサンダンスという儀式が終わったその日の夕方 無事に踊り終わった サンダンサーたちを祝して 彼らは Give Away(与え尽くす)ということをする つまり 貧しい彼らが 持っているキルトやら 道具といったものを すべて参加した僕らにプレゼントしちゃうのです(バッファろーのスープと共に・・) そう! すべて 投げ出しちゃうのです 考えられます!? 全く持って 何考えているのかしら? と思うけどそれが彼らのやり方 
資本主義に頭のてっぺんまで染まった 僕らには にわかには信じられないことです そんなのを体験すると何が良いのか どれが正しいのか よくわからなくなてくるんですね・・・・ 

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