コラム・百姓から見た世のつれづれ

インゲン豆 『科学とスピリチュアル』

30c83ce1.今日の写真 インゲン豆の定植です もう4月も半ば やることは例によってたんまりあるのだけど バイオダイナミック・カレンダーでは この4日間ほどは 結びの日 といって耕作や農作業には適さない日になっている でも 実際はこうして苗が大きくなるし畑仕事をさぼるわけには 時期的にいかない 理論と実践の違いというものがここでも表れる 

今日のテーマ 『科学とスピリチュアル』 現代社会の中で科学というもののもつ力は大きい 中世ヨーロッパの時代には教会というものが支配していたその反動かのように 今の時代は 科学 を基軸とする 物や考え方であふれている 科学の本質は (切る)ことにある 物や現象を細かく細かく切っていき 突き詰めて分析し 答えを導き出す 森全体の中の 一本の木をさらに細かく切っていき 原子はおろか その分離できない領域までメスを入れ 神の設計図まで手に入れようとしている そして その一本の木から導き出す答えでもって 森全体を捉えようとする その時に必ず誤差が生じる その誤差をいつも科学者の人たちは なぜ正確に地道に積み上げたことなのに 結果的にこんなところにたどり着くのだろう? という疑問に突き当たる 真面目な人ほど 最終的に立っている境地のおかしさに戸惑うことが多いはずだ 

 対して スピリチュアルの本質は 常に全体から入ることにある 森全体を捉えて分析をせず 自分と対象を同化させていく そしてその全体に流れているものを 感覚的に捉えていこうとする そしてその大きな流れを 原理や真理と呼び絶対的なものとして答えを導き出す そのときに細部や現実に起きていること との間に必ず誤差が生じる いわゆる総論では答えが出ているのに 各論では答えを出すことができない 森とは何か?に関しては とてもうまく説明できるけど 一本の木の詳細については ぶれが生じるし つじつまがあわないことが出てくる いろんな時代の宗教家とか呼ばれる人たちは 真理を把握しているはずなのに なぜ現実社会との 距離がこんなにもあるのだろう?と深く苦悩することになり 孤独や破滅の道が待ち受ける 

おおげさだけど 来るべき21世紀は この二つを融合することにある 森を一本の木から見ても 全体から見ても 整合性が取れるような考え方なり理論を構築することが大事だ  科学者には 祈り が必要で 宗教家には 客観性が必要だ その意味でどちらが今 リードしているかは 僕が思うに 宗教家だと思う 今の若者やスピリチュアルなことに対して興味を持つ人たちは 現実的なことに関して 必死に地に足をつけなくちゃだめだ という意識をもち始めたように思う もちろんうまくいくことはそんなに簡単ではないけど・・ それに対して 学者や分析をする人たちは 心の問題や 祈るという行為に対して嫌悪感や優越感などが強すぎて なかなか前に進むことができないように思う いわゆる頭の良い人たちには 勇気を持って欲しいと思う そして 各個人の中で このふたつの要素をうまくバランスしていくことが 次の時代の扉を開く鍵になる 今から 数百年 数千年先に 僕らはどんな境地に立っているのだろう 戦争はなくなっているのかな それとも滅んじゃって 猿の惑星にでもなっているかな 

2 thoughts on “インゲン豆 『科学とスピリチュアル』

  1. 科学と宗教それぞれに得意分野があるというのは納得です。
    でもその2つの窓から同時に世界を眺めることは出来ないんじゃないですかね。統合は目指さない方がいいような気もします。無理があるので。

  2. おお こんな話題に書き込んでいただけるのは HMさんぐらいしかいないと思いますので ありがとうございます きゅうりもう植えたのですね さすがです うーん 統合は無理ですかね・・でも 数千年とかいう単位なら なんかなってるかもしんない気がしますですよ 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA