コラム・百姓から見た世のつれづれ

自我像 桜散る 『永遠なるものと 適応するもの』

125e4f34.今日の写真 自我ポートレイト 昨日の午前の作業 有機農業7大地獄(鶏糞出し) 有機農業の作業の中でもなかなか大変なこの仕事(他の6つは口にするのすらはばかられる) 1袋 30キロの鶏糞を詰めて 軽トラに満載する 埃にまみれるので 帽子と3角布は必需品 (まじめに有機農業をやっているだけで決してなんらかのゲリラ活動ではない)

 桜が風に舞って 散りはじめている 花見などみなさんされたでしょうか? もちろん僕にはそんな暇はない 軽トラを走らせて 桜舞い散る中を 疾走するほんのわずかの時間だけが 桜と触れ合うひととき でも 花びらががひらひら と落ちていく様子ほど 情緒あるものはないな 何か一句詠みたくなろうってもんだ

今日のテーマ 『永遠なるものと 適応するもの』 誰でもそういう時期はあると思うけど 若い頃 どう生きたらいいのか?と思い悩む20代だった で いろんな本を読んだり いろんな人に会ったりして たとえ時代が変わろうとも(永遠なるもの) を中心に生きたいと願った つまり 流行りやすたりではなく 平安時代でも今の時代でも 人として 変わらない何か を求めていたように思う そんな中で ネイティブの世界にたどり着き 山に篭ったり 飲まず食わずで踊ったりして 模索した 時を越えて 存在する何か 目に見えない世界の入り口に立ったときに この僕らの住む地球を脈絡と支える ある法則のようなものが 垣間見える気がした そこで 人生の短さと 魂の果てなる旅のような感覚を感じて 思いを馳せた でも 気が付けば 30才を過ぎて この社会に生きるものとして 何も持っていない 空っぽの自分がいたのも たしかだった 今の平成の世 この日本という高度資本主義社会の中で 現金を稼ぎ 税金を払い 自分を養っていくこと そして社会の中で 自分の生きる道をみつけること このバランス・・・どちらも たぶん 人が生きていく上では欠かせないことなんだな と最近思う 今だけを生き うまく成功することだけに集中するのは 視野を狭くして 魂の成長を阻む 永遠なるものだけを探求するやり方は 世をはかなみ あるいは 馬鹿にして 自分と社会との繋がりを忘れ 最後は洞窟に篭る生き方になる 俗世にまみれ なおかつ 聖なるものを保持する それこそが 僕ら人間に与えられた使命 なのかな・・・ ミタクエ・オヤシン(すべてに繋がる大いなるものよ!)  

4 thoughts on “自我像 桜散る 『永遠なるものと 適応するもの』

  1. 初めて書かせていただきます。今日の日記拝読しまして、この10年ほどずっと頭にあることを書いておられたので、嬉しく、はっとしております。日常のことにかまけて、大事なことを忘れがちで、バランスが悪い自分を思っておりました。
    ありがとうございました。
    お邪魔しました。

  2. はじめまして なかなかバランスとって生きていくのは 大変ですね どちらかに集中して そしてまた逆に振り子をふる そしてまた気付いて逆へと・・・ そして いつかいい按配の場所をそれぞれ 見つけていくんでしょう

  3. 初めまして。
    永らく拝見していなかったのですが、今日数ヶ月ぶりにふとお邪魔しましたら、この記事にあたりました。
    上のてくてくさんように、私も精神社会と現実のバランス取りに苦労しておりましたが、今は、目から鱗の気分です。
    精神社会を逃げ場所とせず、視野広く現世を生きて行かねばなりませんね。
    ありがとうございました。

  4. >しみず 様
     このねたが こんなに人気があるとは 意外でしたね 農業やっているといろいろと思うことがありますが・・・ 地に足をつけるには 畑が一番いい気がしますね

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