コラム・百姓から見た世のつれづれ

ぱくちー れすぽんすびりてぃー 

02eda2b8.jpg今日の写真 来週出荷予定の葉物 パクチーです うーむ 自分で作っておいてなんなのだけど 僕はこれ食べられません タイ料理全般がだめで ココナッツミルクカレーとか全然だめなのです てことで 来週1週間ですべて出荷しますね どうぞ お楽しみに!

 さて ここ成田でも じゃがいも芽が出てきて 田んぼでは代かきが始まった 原発がどうあれ 世間がなんであれ こうしてその時期がきたら 百姓は動き 粛々と農作業は進められていく そう だから 本来農業とは 神聖な儀式のようなものだ 古来よりそうであって 今後もそうでなくてはならない IT産業がこの国からいなくなっても 農業はなくてはならない 僕はそう思っているけど 大半の日本人はそう思ってはいない ゆえに 僕のような人間は 日の目を見ずに 朽ちていくことだろう ま 農業というものは 本来そうしたもんです それでいいんですよ 

東電という大きな電力会社の記者会見なりが連日行われている ま 本当はとても自分に関係している事柄なのだろうけど どうにも 関係性があるようには見えない なぜ こんなにも 僕は興味がないのだろうか? と 考えて ふと思うことが・・・
 れすぽんすびりてぃー responsibility  責任 という言葉は 前半のレスポンスと後半の能力と 二つに分かれている つまり レスポンスする能力 それが 責任ということになる ありていに言って 反応する能力 それがすなわち 責任 

 どう見ても 反応しているようには見えない記者会見 あらかじめ決められたことだけを言い終えれば終了 反応ではない 
 責任を取っているのかどうか? は 最終的に判断するのは時間がかかる つまりそれは今の段階ではわからない  最初にしなくてはいけないのは 積極的に反応して 責任を担うという能動的なものがなくてはならない 起きている事態は全く把握しておらずわかりません しかし 私はこのことに関しては 自ら責任を負うものです という積極性があることが 最初の信頼関係の 基礎となるはずだ それが1ミリもない中で 何の信頼関係が築けるんだろう?

 日本の戦後社会が作ってきた サラリーマン企業 というもの 責任を負うということがマイナスにしか作用しないシステムだからこそ いかにそこから離れることができたのか?という能力が高い人が 上に行けるわけだ それが あの記者会見だ より立場の上の人になればなるほど より無気力になり ほとんど反応がない (僕は東電を責めているわけでなくて日本の社会システムはみんなあんな感じでしょう?)

 全く筋違いだろうけど 70年前に後世のために死んでいった特攻隊の若者たちに僕らは 顔が立つのだろうか?(たとえ間違った教育の果てとはいえその思いを汲むのは当然でしょう?) 70年かけて 作り上げた高度な資本主義社会 それがこれだ 全く・・・

やる気のない専門家 と やる気満々のど素人 あなたはどちらに託しますか? 自分の命
僕は後者です だって そのほうが万が一のときにゃ後悔しなくね?

 

2 thoughts on “ぱくちー れすぽんすびりてぃー 

  1. パクチー、とっても感激でした~~~!
    とっても大好きなんです!!
    (≧へ≦)でも、なかなか手に入らないから、本当に飛び上げるくらいに歓んじゃいました!!
    寝る前にも思い出し味しちゃうくらい、おいしいです!!
    神様、ありがとう・・・ゴザイマス!!
    弓木野さんありがとうゴザイマス!

  2. >感激していただいてありがとうございます いやはや 僕食べれないので 量とかわかんなくて・・・おほめいただき 恐縮です・・・

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