昔の話~農業に至った経緯

今週は誕生日 生んでくれてありがとう

12月18ばーすでぃケーキ「
今日の写真 今週は誕生日がありました ごくごく近しい人と研修生Aさんが祝ってくれました 来年50になろうかというおやじがこの甘いイチゴケーキのキャンドルを吹き消した瞬間には 自らの運命もまた 消えていくでしょうか?(いやいやポジティブに祝えよせっかく)

 30を過ぎた頃より 僕が生まれる前の話を聴くようになった たぶんみんなそうだと思うけども 親が幼少の頃はどこでどう過ごして どんなふうに物を考えて どんな経路で今に至っているのか・・・あまり聞く人はいないかもしれない 僕は ふと思い立って 年表のようなメモを取りながら そうしたことを母親に聞いたことがある・・親自身も  自分の年表を振り返るように 冷静に あの年は自分はどこにいて・・と 改めて振り返ることはあまりないから 遠い目をしながら ぽつぽつと答えてくれた そして 時折 何かを思い出すようで(多くは苦い記憶なんだろう) 口ごもりながら 夜道を避けるように 遠まわしな言い方をした・・・・

 僕が生まれた日は 昨晩からずっと大雪で 道にすっかりと雪が積もっていたらしい そして 朝方産気づいた母は 自分でタクシーを呼び 保険証と簡単な着替えだけを持って 飛び乗った 凍てつくような山間の田舎道 峠を越えながら 白くなった景色を見て たぶん 今までもそしてこれからも 心細い心境はいかばかりだったろう 僕の父は 健常者ではなくて ずっと母と一緒にしかいられない人だ なので どの職場も夫婦一緒・・・二人とも ろくに文字も書けない鹿児島出身の田舎物 自分の名前すら書けない父を職場で面倒見ながら母は 人の何倍もわし
は働いたぞ 働かにゃ親父だけならすぐに首にされるばってんな・・・というのが母の口癖だった
 こういってはなんだけど ものごころ着いたときから いやどうやってあの父と母がそうした行為をして子供を授かることができたのか・・・今でも不思議だと思っている そこには 母の生きる事の執念を感じる 学歴も何もない 体ひとつのみが自分の頼り 僕が生まれて3日後には 普通に働いていたそうな それが あの世代のあの親たちの姿なんでしょう・・・・この歳になり 自分の出自 というものはどうにも変えられないものだな とつくづく思う 都市に憧れて故郷を離れたときには 自分が生まれ変わったような新鮮な気持ちを味わったものだけども 結局は 生まれた場所に帰ってくる あの僕が育った がたぼこ道と峠の奥深い暗い夜道 それが 今でも 心の奥に潜んでいる ぬぐえない何か 消し去ることのできない烙印のようなものが魂に刻まれている気がして  ずっと その山奥の田舎を意識して生きてきた その一番底には まぎれもなく 父と母がいる 

 僕が今まで 自分の家族を持ちたい という気持ちを持てなかったのは その父と母の持つ意味合いが僕にはあまりにも強烈で とても 自分自身のことまで考えられなかったというのが真実だ そう 他のことなど手が回らないというような感覚 もちろん 多くの女性と恋愛もして 多くの女性と一緒に暮らした(何年も何年も) そして 毎回同じようなことを言われる (あなたの心のどこか深いところには触れることの出来ない何か暗いものがある・・) みんな はっきりとはそう言わないけれども いろんなニュアンスで伝わってくるし そんなことは 顔を見ればわかる もちろんそんなことは言われなくても自分がよく知っているわけで できるだけそこに触れないようにはしてきたつもりだけどもそんなに人は器用にはなれません そして毎回いつしか潮が満ちて引いていくように 別れがやってくる・・・・
 今回の人生では たぶん 僕自身は家族を持たないだろう 当然 子供もいない 畑をやり 子供を育てるように野菜を育てる といえば 聞こえはいいけども そんな簡単なことではないでしょう(子供に失礼でしょう)
そのうち 父と母は先に天に向うでしょう それが起きた瞬間から それが起きた後でも 自分の中で何が動くのか
たまに 畑でそんなことをふと考えるけども それが 悲しみなのか 祝福なのか 解放なのか なんなのか・・・
 
 49年前の ある雪が降る朝 僕は生まれた 文字をろくに知らない母からすれば えらく 難しい名前をつけたなと思う 母は僕のことを誇りに思ったことはどれくらいあるだろう 僕は 農業を仕事にして以来 身体を酷使するこの仕事において 何度 父と母の肉体の強さとそのひたむきさに心を打たれたろう それが 今でも僕の支えのひとつです お母ちゃん 生んでくれてありがとう・・・・合掌

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