今日の写真 はい 野菜の苗ですね 例の豪雨が止んで さあ!ってことで ひたすらに苗の植え付けに追われいます もう 秋・冬の作付けは終盤 これ以上 種を播いたり 植えたりするのを遅らせるわけにはいきませんで 育苗ハウスの中にあるこの苗たちを すべて 植え終わらねば 冬はやってきません この写真にある苗の奥まで1列で 約2000株 これが まだ6本以上あります 今日はひたすら キャベツを植えました 年内の最後と越冬分 朝からひたすらやって ようやく1000株ちょっと・・・両膝が痛くてしゃがむたびに 気合を入れねばなりません(30代の頃に比べて動きが遅くて仕事にならないのが許せない・・・)
僕のような有機農家というのは ごまんといるわけですが みなさん プロとしてやっていて何が難しいのか・・・という話しになったときに (野菜を作るのが難しい) ということではないのです もちろん そうなのですが 僕がやっていて何に集中しているのか と 問われれば (安定した量の確保と収穫時期) ということになります
つまり 量(ロット) がなくてはいけないのですね そして 質・・・今や スーパーにある野菜と同じぐらいの見た目のレベルを求められます 昨年 夏の1発目の 7月に種を播いた小松菜 時期が厳しいのでかなり虫にやられたものの まあ なんとか出せるかな と思い 出荷したところ それはそれは クレームの嵐・・・お叱りを頂戴しました てことで 量と質 反ではなくて ヘクタール単位でそれを求められる時代になりました
そして 収穫時期です 誰もが作っている同じ時期に作ってもしょうがありません できるだけ 早く そして 長く収穫すること 当然 品種を変えながら安定して 数ヶ月に渡って連続出荷をすること それが 今は求められます・・・研修時代に習った事など 今の時代 素人レベルだったなと懐かしく感じます・・・・
農繁期で新聞も何も見てないのでよくわからないのだけども 政治が盛り上がっているみたいですね・・・国会にデモをしている若者がいたり 凄い時代になりました(でも 素晴らしいことですよね)
そして 思うことが・・・戦後 この国が失ったものはたくさんあると思いますが・・・ひとつは 男の弱体化です
特に年配で齢 50~60以上の すでに 個人としてのなんらかの確立したものが求められる一人の男 そこに 重み というか 凄みを感じさせる 男がほとんどいないように感じます(みな僕のようなへたればかり)
高倉健 とは言いませんが まず 目つき そして 背中・・・何も言わずとも そのふたつから何かを語るかのような男 そうした男が少ないように思います・・・そして 本来 そうしたものを最も資質として 持って欲しい政治家と呼ばれる職業の人を見れば いませんわな・・・みな 2世 3世・・・社会の厳しさのようなものすら 庶民の苦しみとは無縁で幼少から若者 そして 壮年・老年と刻んできて 背中になにかが溜まるわけがありませんわな・・
かつて 田中角栄 という人にはそうしたものがあったように思います(いいか悪いかは別として) そこには 肉体的経験から来るものがあるわけです 今の孫正義さんは 幼少の頃より 母親に連れられて 荷車で毎日ゴミを集めて売るということをやったことが 今の繁栄に繋がっていると見る識者は多いようです・・・
理念や信念 というものは 形がないからこそ そこに息吹を吹きこむのは 人の魂なのです そして それを本当に信じて それを外の世界に向って 誰も見たことのないものを実現していく その最初の一歩は何かといえば それは (体現していること) なのです つまり その人そのものが それをすでに 肉体として実現していること それが 求められることなのです
今の総理が 集団的自衛なんとか法案で 日本としての責任を果たすべく 武力行使の範囲を広げようとしているとするならば そこに説得性と必然とを体現していなければ 口だけだよな となるでしょう そして そう見られているのでしょう・・・・(もし 自衛隊が外国で 殉職 となったときに そのご家族が納得できるだけの説明と哀悼の意を今の政治家が口にできるでしょうかね・・)
僕のような 百姓には難しい話はわかりませんが 昔から 言い続けていることがあります それは 決定権を 女性に渡す ということです そして 男性は その決定に従い 持久力と体力とでその世界を維持する 古代の 神託政治 に戻ったほうがいい というのが僕の考えです 女性は 生命を産むからこそ 戦争の無意味さを 体現しています すでに・・・だからこそ 男は決定を委ねて 日々の暮らしの中にこそ その暴力性と肉体性を向わせるべきなのです・・・(なんてね百姓の世迷言でごぜえますだ) (安部さん 夏の一番暑いときに 一日中草むしりやらしたら
どんな顔するかね 見たいよね・・)