コラム・百姓から見た世のつれづれ

めちゃくちゃな天気 八百屋も要検討か 70年前で25万

12月12戦後
昨日出荷日の天気は むちゃくちゃでした・・・ニュースで見るに 気温22度 そしてすぐ近くの成田空港では 風速22メートルで何機も下りられなかったとのこと・・・・出荷場でお野菜箱に詰めていて あまりにも暖かいのでこれは クール便で送るべきなのか?とさえ思いました えらいことですよね・・・毎年 こうして あるべきだった季節というものがどんどんずれていく 僕のような天候に直結している仕事だと その影響は計り知れない 温暖化なのかなんなのか知りませんが どうなるでしょうかね・・・現場にいる僕のような人間は たくさんいると思いますが 獏とした不安を抱えながら では どう解決していくのか?と 問われれば なんらの答えもなく ただただ 日々をこなしていくしかないのでしょう・・・・

 さて 百姓ズカフェですが・・・11月は後半かなり厳しくて 急に寒くなった事もありまして 集客が伸びずなかなか大変だったのですが 12月はまあそこそこに伸びております そして 何よりも 八百屋ではないですが 野菜を買っていただける方が リピーターとして増えてまいりました ありがたいことです・・・まあ 生産者である僕から言わせていただければ 当然といえば当然・・・です 近くのスーパーよりも安く そして 鮮度 味 全然違うものです そのようにして 苦労して作っているのですから あんなもの(あえてそう言おう)があの価格ならば 多少 気づいていただければ 我が野菜 1品 200円を選択するのも道理であろう と思います・・・
 将来 八百屋 部門だけでも 独立して何か形を作ることができないかな? とさえ 思います すべて 直営でやれば 1品 200円でも利益は出せる そう思います 問題は家賃などの固定費と 人を置くならば 人件費 このふたつがネックでしょう そこらあたりをクリアーできるならば 充分 いけそうな感じがしますね・・・要検討項目です・・・・

 今日の写真 たまたま 郵便局にて見つけました・・・・(戦没者等の遺族に対する特別弔慰金) 戦争で亡くなった戦没者のご遺族に 支給するものらしい 5年間で25万円・・・・そうなんだ と手に取り 思いました・・・
戦後70周年とのことなわけですが 日本がかつて 中国に派兵したのが 1937年・・・本格的に太平洋戦争が起こり戦争が激しくなったのが1941年・・・そして 敗戦して ポツダム宣言受諾の無条件降伏が 1945年・・・・
その間 8年 なんですね・・・もちろん その8年だけではなくて 当時の時代背景やら 明治維新より始まった 富国強兵策 なるものが起点だったのでしょう そうしたものが積み重なって 1945年まで一気に行ってしまったのかもしれません・・・しかして 思います わずか 8年・・・その間に どれだけの人が亡くなり 見も知らぬ異国の地で亡くなったのか その無念の思いに応えるべく 70年経っても その対価を支払わねばならない 戦争というもの・・・・今 軽減税でどうとか言ってますが 70年前のことに対して ひとつの遺族に 25万円を支払う ということを 財務省はどう見ているのでしょうか? この25万を含めて あの戦争にかかった費用はいくらになるんでしょうか? そして その結果 敗戦したわけです・・・踏んだり蹴ったり などという表現ではとても言い表すことはできないと思います(平成のこの時代に豊かになったことですべてチャラなのか?あ?)
 当時も愚かであって そして 今この瞬間も愚か なのでしょう 水は低きに流れ人は易くに流れる のでしょう・・ そして 百姓である僕などは 何の力もなく 畑にしがみつくことしかできないのでしょう・・・今日はひたすらに じゃがいも予定地の畑を整備しておりました・・・また 来春がやってくるからね・・・今のうちに準備せねばね・・・それぐらいはあほでもできるのだ・・・

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