環境問題

秋の訪れと コミュニティ(共同体)

ffef4693.さて 今日もなかなかいい天気 でももう自然は秋 秋に向かうんだ というはっきりとした意思が感じられる なので 過ごしやすい 夏は終わりを告げた さようなら 夏

今日の写真 これは片付け途中の資材小屋の屋根からみた 大山を望む風景 はい この手前の屋根を剥がしていきます これは2年前に立てた小屋 まさか2年で撤去とはこれを建てたときは思いもしなかった でもって この屋根をがんがん剥がす トラクター小屋よりも 少し低いので やりやすい やはりトラクター小屋のときにやって手馴れたので 作業スピードが速い なんとか 8割がた終了 はー 足 腰 手 パンパン

屋根剥がしを しているときに なにやら近所のおじさんが畑にやってきて (なんだ?ここ畑やめちゃうのかい?)と聞いてくる 僕は いやあ とか言ってなんとかごまかす まあ農園の閉鎖のことは別に隠すつもりもないけど 終わり間際になって 変な噂などを立てられるのもいやだし・・・正直 疲れてしまったな という気持が強い 最後ぐらいは僕にも 黙秘する権利はあるかな との思い 立つ鳥跡を濁したくない 

さて 時代はコミュニティ(共同体) パーマカルチャーやら ろはす などでよく出てくる 新たな流れともいうべきもの 60年代にこみゅーんみたいなブームがあり いわゆるヒッピーのような 人たちが田舎などに行って 自分たちの理想とする 村を作ろうとした もちろんそれは ほとんどが失敗に終わり 今現在でも それに近いもので残っているのは 宗教団体が作るものと 一部の思想団体のような 閉鎖的な組織ぐらいだろう

そして 田舎ぐらしのブームとあいまって いまや都会から田舎へと まさに夢と希望をもってやってくる一群の人々 はたしてこの流れはどうなるものか?
 今求められている コミュニティなるものは おそらく会社組織などでの トップダウンとは違う力関係を目指すものだと思う 一番奥の部屋の大きな椅子にふんぞり返って 指示を飛ばす こうしたやり方にうんざりした人たちが 今や田舎へと目を向けている で うまくいくのに必要な物は 技術 新たな村に集う人々は 皆自己責任で 一人一芸というべきものを身に付けていなくては 役にたたない 指示を出すだけの人は必要ない 

僕は野菜を作る じゃ俺は小屋を建てるよ あら じゃあ私は服を作ろうかしら などと お互いが支えあう技術をもっていなくては成り立たない そういう意味で コミュニティ(共同体)は 理念ではなく 技術が基軸となる 話し合いや会議では そうした村はできないのである

1 thought on “秋の訪れと コミュニティ(共同体)

  1. 2年かぁ~・・一番大変な時・・なんだよね・・みんなそこでやめちゃう・・もう少し我慢できれば・・とも思うのだが・・新規就農者・・中々育たない現実に淋しさを憶えます。
    私たちも脱サラして始めた時は誰も相手にもしてくれませんでしたから・・
    実績さえ残せば・・又違うんですけどね・・それまでがね・・。

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