環境問題

墓碑のじゃがいも 生態系システムと社会のシステム

fe12a016.今日の写真 はい これは傷みの出た廃棄したじゃがいもです 納屋に一旦入れたものをハウスに持ち込んで 本日全部点検して 傷みの入ったものはこのように捨てました 量は2コンテナ強 50キロは越えてると思う 全体量にしたらたいしたことはないが それでもかなり多い
まるで なんかの墓碑みたいに見えないか?(まじ 泣けるぜ)
問題はこれで終わればいいが これからの保存でもたぶん出ると思う 予想するに 少し肥料が多かったかもしれない 窒素過多は傷みの最大の要因かもしれない

このように 傷みが入るということは ある意味 じゃがいも君は生きているということに他ならない 生きて呼吸してるからこそ 環境がよくなければ傷んでいく 生まれてやがて死んでいく 生命活動とみれば至極当たりまえのこと 文字通り 『命』をお客さんに贈ることが 農業の真髄でもある ただ もう1つの側面からすると 命であると同時に 商品でもある あれだけ苦労して堀り上げた『商品』が 保存している途中でどんどん欠品が出てしまう状況というのは 誠にまずい この商品としての側面だけで 野菜や農産物を見れば いかに環境をコントロールするかという発想にいたる そこで あらゆる農薬やら 化成肥料やら 各種資材 などが開発されて行く

 つまるところ これは 生態系のシステムを 社会のシステムに組み込もうという考えに他ならない 当然ながら本来は逆で 生態系のシステムとは 地球のことであり 山であり川であり海であり 国境や思想すらない 大いなるもの である その中で僕ら人間が国と呼ぶもの 社会と呼ぶもの 経済と呼ぶもの 人工的なシステムを構築させてもらっているわけで そのベースは大地であり すべて生態系のシステムの手のひらに乗っかっているわけである 
 にもかかわらず 僕らの社会のシステムは そのあたりまえのことをないがしろにして 経済発展とやらを展開している そこで何が起きるかといえば 何月何日に キャベツが何個出荷できるのか? に関して 一切の妥協が許されないことになる そうなれば どんどん外的な要因
を排除して 畑をガラス温室で囲い 水や空気を外部と遮断して コンピュータによる 栽培管理という流れになっていくのである 一見 生態系システムを組み込むことに成功したかに思うころに 発生したのが BSE問題であり 鳥インフルエンザである どの感染経路なのか?本当のところはいまだによくわかっていないようだ それは まさに 生態系からのしっぺ返しのような気がする (おいおい 君たち 自分の立場はわかってるよね?)というメッセージなんではないだろうか?

畑をやっていると 今日廃棄せざるを得なかったかわいそうな(本当は俺が一番かわいそう)じゃがいもたちのように コントロールなんてできやしないものが 山ほどある どれだけ経験と知恵を重ねても ここまでか? という限界はある その先は 別のアプローチになるんだと思う 百姓としての技術や勘は休むことなく磨かねばならんけど その先の奥の間に控える 別の扉 いつの日か その扉の前に立ちたい と願う (どうやら マトリックスみたいな話か?)

4 thoughts on “墓碑のじゃがいも 生態系システムと社会のシステム

  1. じゃがいも・・・切ないですね。
    自然の摂理に反すると、必ずしっぺ返しがきますよね。
    環境破壊、地球温暖化、等々・・・
    私たち消費者が、もっと考えなくてはいけませんね。
    野菜=食べ物=命 なのに 野菜=食べ物=物
    になっている気がします。
    だから、見た目が奇麗で、美味しい(もっと甘い、濃いもの)物を要求して、しかも安い物をほしがるなんて、贅沢なんですよね。
    旬の野菜が一番エネルギーに満ちて、美味しいのに。
    命の値段を考えたら、高くて当然なのに。

    だからこそ、無農薬栽培、続けてほしいです。^^
    大変だと思いますが・・・^^;

  2. もうやめてくれ と国民全員に言われても 無農薬栽培続けますよ はい 僕らがある程度の生活が出来さえすれば もうそれで充分なんですね でも 実際はとても難しいです 安定した生活設計が立つ 有機農家になること それが当面の目標です みんな 野菜買ってくれ!

  3. はじめまして
    たまたまたどり着いたこちらのブログ・・・
    興味深く読ませていただきました。

    この「じゃがいも」傷んでるってことは腐ってるってことですか?
    画像では腐ってるなんて思えないのに、、、なぜ廃棄しなきゃならないのか・・・
    読んでいてとても悔しい思いです。

    消費者は、形の良い物や綺麗なものを求めすぎていると思います。
    本当は形が良くても調理の段階でそんなことは問題にならなくなるのに。
    切り刻んでしまえば、曲がっていようが凸凹していようが・・・。
    そんなことは何の問題でもなくて、本当の問題点は安全な食品かと言うことですよね。

    あたしは、この棄てられた「じゃがいも」を買いたいと思います。
    少々腐っていたとしても、安心して食べられそうな気がするからです。

    応援しています。

  4. コメント書き込みありがとうございます 画像が粗いのでよくわからないかもしれませんが 若干の傷みが入っています 当然それはほんの少しであっても売り物にはなりません スーパーにほんの少しでも傷のついたじゃがいもはありませんね それと同じです またそれを排除しておかないと 保存の段階でどんどん広がっていきます 通常 北海道などで取れるものは 収穫後X線をあてたり 専用の貯蔵をしたり 一般の方にはわからないいろいろな段階を経て 消費者の前に出てきます 生産者は 今の一般の方の消費行動に合わせてさまざまな苦労を背負っています ご指摘のように まず 安全が第一 という当たりまえの原則が確立すれば もっと変わっていくと思いますが・・・難しいでしょう
     ちゃんとした じゃがいもは近日中に販売しますので それでお願いします

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