コラム・百姓から見た世のつれづれ

あいらびゅー うふ

306ffc5c.今日の写真 玉ねぎが発芽してきた 今年はうまくいくのだろうか?冬が例年どうり寒いのか?暖かいのか?で随分変わってくる 歯がなんとか仕事ができるまで回復 まだ痛いし膿は全部摘出してないけど 通常生活はおくれる ちょうど1週間 これは浄化と休めということなんだろう と勝手に判断する

今日のねた 全然関係ない話(いろんなねたを書かないと俺が飽きるんです) 恋愛の話 うふ・
その昔 いわゆるお店のカウンターの中で カクテルなんぞを作っていたりしていると 目の前のうら若い女性の方と当然接客をするのだけど 何を話すかといえば 当然 恋愛の話 60年安保について とかの話題は当然なく ほぼ 惚れた腫れたの話になり こちらが相談にのったり 占いをしてあげたりしていたわけです で そうしたたくさんの女性方と話していて 当然みなさんいろんな悩みなり 勝手な悩みなり 聞いているこちらがあほらしくなるようなものもあるのだけど 真剣なものが多い で その中で とても共通しているものがあることに気付く 僕が(ああ そうか!)と思ったことのひとつ

恋愛関係というのは 文字通り あらゆる関係の中のひとつ 親子関係とか友達関係とか・・ なので 当然あらゆる関係性に共通するあてはまることが 恋愛関係にもあてはまります こう書くと 何を当たり前な! と思うかもしれませんが 実は ほとんどのうら若い女性の多くはこのことを 理解しておりません(でした) たとえば 友達関係では 貸したお金を返すのは 当然ですね でも これが恋愛関係となると 恋人同士だからいいの うふ などという女性が意外に多いのですね 恋愛というものを このように 通常の関係性からは逸脱した特別なものと思っている人が多いように感じました たとえば 暴力 あらゆる関係性の中で 許されないこの行為を 愛しているからこの暴力を許さなくてはいけないのかしら?などという発想が出てくるのですね 最も互いを尊重せねばいけない関係なのに その前提が壊れているのに 幻想を掴もうとする うーん

愛 というものが 今の地球上に本当の意味で実現されたことがあるだろうか?2000年前に イエスさんという人が世界に向けて放射したとされる 愛というエネルギー 僕らはそれを日常の中で どれだけ体験してきたといえるだろうか 一番それに近いものは おそらくは 母親が我が子を思うその気持なんじゃないだろうか?と思う 自分の身をさらけ出し見返りを求めないその行為こそ 愛 にふさわしいのかもしれない その意味で 政治や経済 社会の仕組みの根底を 母親 つまり 女性に任せたほうがうまくいくというのは 正論だと思う 翻って 嫉妬 ねたみ 憎しみ ともすれば そうしたものを生み出してしまう 恋愛 というもの 恋愛こそ人生の至上の体験という人もいるだろう ただ そこにはたくさんの幻想が渦巻き 時には暴力にまで発展してしまう 恋愛は僕らにとって必要なもの? それは刹那 ではないと言い切れるのか?
 そして当然ながら ここまでえらそうにうんちくを語るのであるならば さぞや 立派な恋愛体験をお持ちなんでしょうな? と問われれば 決然と 一切 『ノーコメント!』(ああ許して許して許して・・・涙・・

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