バイオダイナミック農法

穴堀り みじめさという感情

498ac9c5.さて 今日の写真 この日記にも書いたけど 里芋を掘りはじめて 貯蔵穴に入れていくわけだけど 昨年より 多く作付けているにもかかわらず 穴の大きさは同じ なので 当然 今年の分は全部は入らないことが判明したので 穴を大きくせねば・・・とのことで 朝一番の仕事で ひたすら 貯蔵穴を拡大していく もちろんスコップ一本の手作業 汗だくで Tシャツ一枚になる 1時間で大きくなった後は これまた ひたすら 里芋を掘っていく 里芋掘って運んで 穴に伏せこむ ひたすら繰り返す 里芋掘って掘って 運んで運んで 伏せこむ伏せこむ 里芋掘って掘って 運んでいやになって 伏せこむと同時に 自分も一緒に穴の中へ・・・寝る(失礼しました 寝ずに働け) でも ちょうど自分が隠れるぐらいの 穴って なんだか 子供の頃遊んだ 基地みたいで 貯蔵穴にいると 不思議と落ち着く

 悲しみという感情は 時の流れと それが過去に起きたこと故に いつか必ず解決する
それに対して 惨めさ という感情は 現在進行形で続いていて それを克服するためには自分自身と 周囲の状況を変えないことには 解決しない 惨めさ をほっておくと いつしか 自分を蝕み 周囲へとその影響が広がっていく それゆえに 悲しみからくるトラウマよりも みじめさからくる もののほうが 根が深く解決するのが難しい みじめさを 多く感じることは 自身の誇りや 他者へのいたわり そして 差別のこと などを理解するには あったほうがいい その体験からくるものは 心の中で ひとつの磁力となって 魂に刻まれる ただ 問題なのは だったら 教育の現場などで みじめさ を体験するように 自らそれを望むのか?人に勧めることがいいのか? という問題で たぶん そうしたやり方は 間違っているし 人が人に 何かをすることの限界が そのあたりにあるのだと思う それ以降の 問題に関しては 魂の役割 スピリチュアルの領域にかかるわけで その意味で 教育と魂 との関係性というのは 本来切ってもきれないもののはずだ みじめさを自ら勧んで体験することは必要ないが 結果的に魂の選択でもって それを体験する人生ならば体験せよ というのが 結論になる ということで ルドルフ・シュタイナーはじめ スピリチュアルなことを学ぶ ということは 根気がいるのだと いうことを 11月のシュタイナーのイベントでは 話そうと思います はい  

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