百姓の詩

生きるじゃがいも 家族

c656207e.今日の写真 はい これはじゃがいも君です このようにこの時期になってくると保存しているじゃが君はどんどん芽を出してきます おそらくスーパーなんかでしかじゃがいもを見たことない人は これ見るとびっくりしますかね はい なぜこうなるかといえば 一言 生きているからです そう 生きて呼吸しているから芽を出します 生きている命を僕らは食べています そして元気をもらいます 農産物というのは 命あるものです 人の口に入るものは 本来そうした命あるもので 循環していきます 命を大事にしたいと思います

 そして生きている限り 肉体は調子よくなったり悪くなったりします 新しいバイトを始めて 長時間労働になり 疲れがたまり どうやらダウンしそうな気配 疲れとはもう友達みたいなもんで うまくつきあっていくしか方法はない でもたまにこうしてコントロールできなくなって関係が破綻する 明日は雨だそうなので 半日だけ休むことにする 天気がいいと 罪悪感でゆっくり眠れないから雨音だと安心 

人は誰でも弱点(ウイークポイント)がある たくさんある人もいれば少ない人も そして自覚している人もいれば 全く自覚がない人もいる 僕は弱点がたくさんではなく 弱点しかない とさえ思えるほどある そのひとつが 家族 というもの 血という結びつきはことのほか 苦しく悲しく 喜びを見出すことが難しく感じる それは僕の肉親とかがどうではなくて ひとえに 自分自身の考え方などに原因があるのだろう それゆえ 自分の子供を欲しいと思ったことは 実は一度もない 人を好きになり 愛し 家庭を築く それが当然のように 生きる喜びのように感じて手にいれる人もいれば どうしても自分の問題や 人を愛することの難しさに直面して そこに到達できなかったり それを望まない人もいるだろう・・・ でもそれもまた ひとつの生き方 皆 自分の背丈にあったやり方を見出すことができることを 祈ります

 これは愛なの? と尋ねるのはやめてくれ 体と心 重ね合うわけはただ・・・・
 ガラス窓に映る 二人はもう若くはない このままでいい このまま 夜を背にして

1 thought on “生きるじゃがいも 家族

  1. ブログいつも楽しく拝見しています。
    本日はいささか心配になりメール残します。

    命をいただいて命をつなぐ
    これもまた命の循環

    お陰で農に目覚めたり出来ます。

    九十九里の方で知人が脱サラして有機やってます。私自身も埼玉小川で週末通い農夫
    疲れたら休みながら10年目です。

    罪悪感のないお休みを・・・

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