百姓の詩

ぴかぴか軽トラ 春一番 心の旅ー日本の神様

今日の写真 研修生が軽トラを持ってきた 自力での手配 僕は関与していない 昨今の軽トラはデザインからなにまでまあ おされですな ただ 機能としては今ひとつか・・・・(俺もこんな軽トラに乗ってみたいという嫉妬がこの文体からは読み取れますな)

今日は強風が吹き荒れる はい 春一番ですな おそらく今日からは春です 季節はあっという間に過ぎ去るわけですが 春が来たとして 次は夏ですが これはさらに恐ろしい 気づけば汗にまみれて 体のどこかしこから汗が滴り落ちていき 何がなんだかわからないうちに 夏に飲み込まれていく 季節は人の自覚を奪っていく もっと落ち着いてじっくりと季節と向き合いたいと思うわけだけども そんなものはどこ吹く風 百姓はいつまでたっても 季節に踊らされ 取り残され 置いてきぼりに遭うのである そう 気づけば 畑の荒野にたった一人なのさ。。。

20代のころより 精神世界なるものに興味があり そうした世界をさ迷った 心理学やらの本を読み漁ったり いろんな セミナーの類にも通ったりした そんな中で ネイティブアメリカンの世界に出会い スウェットロッジには数百回入り 北米砂漠の中でサンダンスを踊った ダライラマに会いに行き インドの聖者も巡った 30代で 農業の世界に入り 一旦 それまでの精神的な落としどころは 一旦 終了・・・ひたすらに 畑にすべてを注ぎ込んできた そして 気づけば 50代・・・それまでの 精神的な旅は 気づけばすべて終わっていて 新たな旅が始まったな と感じたのがここ数年のことだ そして 昨年 プライベートでも結婚したり 大きな変化があり 同時に また新たな旅が始まった 今度は 日本の神様 古来より連綿と続く 日本を日本たらしめている 霊的な存在方 というところにフォーカスしはじめて 伊勢神宮に初めて お参りにいくことになった・・・これは強烈な体験でした 己の役割 のようなもの 自分がなぜ 農的な世界にいるのか を自覚するひとつのポイントとなりました 言うまでもなく 日本の古来より精神的な支柱の柱であるものは 農耕 です それは 単なる 食糧生産 というものだけでなく そこに 固有の文化の根っこがあるように 食べることと 生きることは同義であり もっと深い何かが そこに根ざしているのだと思います なぜ 伊勢神宮の外宮に 豊受神社があるのか・・・ ご飯 なのですね・・・・30代の始めに インドから帰ってくるときに 日本で何かをしなくてはいけない と一人勝手に思ったわけだけども それは 農耕 だったわけです そして 農耕 というものを追及していけば 必ずや どこかに それは 日本の何かに必ず辿り着けるのではないか と 途中で思うようになりました そして それは たぶん 正しい と思っています 畑を 田んぼを実践して その暮らしの中からしか 見えてこない世界 というものがあります それは 言葉を超えたところにあるものです 同時に 座って祈ったりすることとも多少違うものです 繋がりー のようなものです 真言(マントラ)とは ネットで字ずらを覚えて 唱えても アクセスできません そこには 導きがあり 相互に 道がなくてはなりません そのようにして 古来の日本の神たちは 今でもそしてずっと何千年の時の中でもずっと そこにいて そのアクセスの道を永遠に僕らに開いておられます 僕はそこに くわでもって 畑でもって 歩いていきたいと思っています・・・この旅は 長いものですが 唯一の救いは 飛ぶ矢は止まっている ということです 永遠は 一瞬の中にあるわけで 何らの焦りもありますかいな・・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA