百姓の詩

ヤーコンの球根 金持ちは資産を買い貧乏人は負債を買う 永遠の百姓プレイヤー 

今日の写真 さて ヤーコンの収穫と同時に 来年用の種芋としての 球根を同時に収穫します これを来年の2月か3月に 畑に植え込んでまた 12月に収穫という流れです この循環 ヤーコンという作物の命の循環 を巡って 収穫に与れば なんら 欠損することなく 僕ら百姓は あるいは 人間は 毎年食べていくことができるのです そうまるで 株主の配当がごとく・・・生態系の命の循環と 金融資本言うところの 余剰資金何が違って何が同じなんでしょうか? 自然が作る理のルールと 人間の知性が作り上げたルール 何がどうなんでしょうか?

経済評論家 上念司氏がユーチューブなどで語っていることを抜粋しますと・・・その昔 (金持ち父さん 貧乏父さん)というベストセラーがあり この本で語っていることは ただ 一点 (金持ちは資産を買い 貧乏人は負債を買う) 家は負債であり 車も負債 ただ 家を買い それを 家賃で貸し出せば 資産となる つまり 金が金を産む仕組みを作れば 永遠に 資産は増え続ける・・・ということのようです・・そして 数年前に トマピケティの流行った理論がこれを後押ししておりますな 100年以上の 世界中の株式や資金の流れを詳細に調べた結果 きちんと働くよりも 為替やなんらかの金融を利用したほうが儲かる ということのようです・・・これは たぶん 今の庶民がうすうす感ずいている ことを改めて証明したということになるでしょう 真面目に働くよりも なんらかの美味しい話に乗ったほうが お金を儲けることができる そして この風潮は 今現在の大人だけでなく おそらく 青少年の10代や20代の若者の主流となりつつあるように思います それはつまり (労働)の価値の低下に繋がっているのだと思います 歴史上 今ほど 勤勉に働くことの意義が問われている時代はないのかもしれません ほとんどの大人は 金のために働いている これを見切ってしまった世代が既に生まれていて だからこそ 彼ら若者は 大人の作っている社会を尊敬も尊重もしないし 逆に いやいや 別のルールをそのうち作るからまあ見てなよ ぐらいの感じでしょうか・・・そこにおいては 生きるということの価値は なんとか金を持つことで自由を手に入れられれば最後は勝ち ということがゴールになっている んでしょうか?

僕は最後まで プレイヤーでいたいと思います 最後まで畑という現場で ひとりのプレイヤーとして生きていたいと思います なんらの金融資産も必要ありません 肉体が最後まで動けばOKです 朝起きて毎日 畑に行って野菜を作ることが出来れば勝ち というゲームにしたいと思っています それ以上でもそれ以下でもありません 本来 人間はそんなもんなのではないでしょうか? 何も持たずに生まれてきて そして 何も持たずに死んでいきます その命の経験値だけは 魂の中にもしかしてどこかに残るのかもしれません でも 金融資本は残りません たとえどの時代に産まれようとも 変わらない人としての永遠のルール それが 一人のプレイヤーとして生きる ということなのではないでしょうか? ま 僕は百姓ですから 難しいことはわかりかねますが・・・・

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