環境問題

カーネルサンダース かつお菜 日本人のシステム変更が苦手なわけ

da94b56a.大阪で大変なものが 発掘されたニュースがラジオでやっていた 時は1985年 某野球球団が優勝し 狂乱となった市民が聖なる川 道頓堀に投げ込んだ その名もカーネルサンダース これで大阪市民は 世界遺産にでも 登録する動きを見せるかもしれない 僕が関西にいて サラリーマンをやっていたときに 課長から(いいか 取引先と野球と宗教の話はするなよ)と言われた そう 関西人にとって 阪神 という二文字は 信仰 である
 バース・掛布・岡田 バックスクリーン三位一体説なるものが 今でも熱く語られるわけだけど 今や 強くなった阪神というのは どうなんだろうか 数十年に一回優勝するほうが よりカタルシスを感じられるのではないだろうか?

 今日の写真 かつお菜 本日の出荷に使う 育苗ハウスがもう満杯で なぜ?と思ったが よく考えると 昨年の倍の量を作付けているのだから 当然 苗 の量も倍ということになる なので 育苗ハウスの隣に トマトの支柱かなんかで 簡単な小さいハウスを建てようと思い その場所に今 このかつお菜があったので どんどん出荷することにする 

今日のねた 明治維新で大きなシステム変更を行って以来 この国は 自分たちの力では 何かを変える ということをやってこなかったのでは? と感じているのだけど みなさんは どう思いますか? 昔から ものすごく思っていたこと この国には 凄く優秀な人が多い みなさん頭もよく 行いも真面目で立派 基本的には良い人が大半を占めているように思う だけど・だけどだ なぜ 全体として 良い方向へ向かわないのだろうか? ということだ 硬直した官僚機構しかり 堕落した政治家しかり 利益追求のみを図る経営者しかり 一人一人はみんな いいのに 全体としてなったときに 全く機能していない制度 全く現場からは離れた仕組み 農業 なんてのは その典型だろう なぜ? とずっとずっと思ってきた
 
 そして 農業をはじめて 少しずつ違う観点から 答えのようなものが見えてきた気がする この国には 元来 もっとおおらかなものがあって それは 季節が次第に移ろい 待っていても恵みを与えられる 四季 というものがあるように(待っていれば春はやがてくる) 豊な自然に抱かれて 文字通り その恩恵を受けて 古来より 農耕を発展させて ある意味 のんびりとやってきたように思う そう 焦らずとも 人間同士戦わずとも 豊な大地と身近にある 川や海からの資源でもって やってこれたように思う だから 元来 何かを根本的に変える システムそのものを変えないと 人の暮らしが立ち行かない という体験そのものを 僕らは 潜在的に持っていないのではないか? と思う 典型的に右へならへ という風潮は そうした豊な自然が起因しているのだと思う だからこそ 自らの力で システムを根本から変えるには 社会の仕組みそのものを どうしたらいいのか?という 気概やアイデアが湧いてこないのかもしれない 自然という 大きなものに依存して生きてきたのが 我々 日本人だったのでは?

アメリカに行き ネイティブ・アメリカンの居留地なるもので 儀式を行った時に そのたとえようもない 広く荒れ果てた赤い剥き出しの砂漠のような大地 バットランド と今でも呼ぶ(悪い土地だぜ?)その場所が聖地である彼らの抱く 自然に対するものは 僕らとは随分違う もっと荒々しく もっと激しく それは そういう自然環境から生まれたものだと感じた 自らの肉体を引きちぎり 捧げるその過酷なサンダンスという儀式 は その過酷な大地から生まれたものだだろう  

 そして 平成の時代に入ったこの国 豊だった自然は風前の灯火 バブルに踊り 木々や山を削り 原生林は見る影もなく 生活の基礎だった 第一次産業は みな崩壊の一途だ ここにきて 僕たちは 精神的に不安に陥っているかのように 潜在的に心のよりどころだった 豊な自然が破壊されていることに いいようもない 恐れを感じているのかもしれない 失われていく自然に 根底から 僕ら自体が揺さぶられている それが 今 この国の社会全体を覆う 希望の見えない 金融だとかの表面の問題ではなくて いいしれぬ怖いものを感じているように思えてならない 

心のふるさと 僕ら 日本人が 本当に帰っていく場所 それを再構築する必要がある 僕らが戦後 失ったものは 想像以上に大きいのかもしれない それは 今後 僕らの子供や 孫の世代になれば もっと顕著になるだろう その意味で 僕らには 責任がある ただ そう考えると どこから 手をつければ いいものなんだろうか 農業だけでは 追いつかないよね 困ったもんだね・・・ 
 
 

1 thought on “カーネルサンダース かつお菜 日本人のシステム変更が苦手なわけ

  1. 社会にちっちゃなコミュニティが、いっぱいできることかなぁ・・・
    食、環境、子育て、介護、女性、外国人etc. さまざまなテーマで、人々の暮らしの課題解決に取り組む現場があること 孤独に落ち込まず 絆を結ぶ場を 汗を流して守っていくことかなぁ
     
    心のふるさと うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 そう呼べる心の世界が 暮らしの中にあること それは人生にとって かけがえのない場所です 

    ただ、かつてお国の為にといって 国の指導者がコミュニティや信仰心といったものを 戦争に利用したことも忘れてはなりませんよね・・・

    『健やかであるのは、人の心の鏡に コミュニティーの全体が姿をなすときである。
    そして、そのコミュニティーの中で、一人一人の心の力が活きるときである。
    これは、社会のモットーである』
    ルドルフ・シュタイナーの言葉でした。

    心の力 人の幸せ そういった価値を 現場を通して体現できる そのような社会参加のあり方を 自分も求めたいし 人にも伝えていけたらと 思っています
    特別なことではないと 思うんです 木々や草花が風に揺れるように 自然なことだと・・・

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