百姓の詩

トンネル栽培 この2日の出来事ー僕は自由になったのか

98efd68a.さて 今日の写真 これは昨年のトンネル栽培 こうしたトンネルが何本も畑に並んでいく このトンネルの中で 野菜たちは 春先の出番を虎視眈々と狙うわけだが もちろんすべてがうまくいくとは限らない トンネル開けてびっくり ということもよくあるわけで・・

 さて 今日は 飛行機ー新幹線ー高速バスとほぼ日本半分の距離を一日かけて成田へ帰ってくる 飛行機乗るときは晴天だったのに成田はしっぽりと濡れていた で この2日何をやっていたかというと(あ 百姓日記だけどプライベートも含めての百姓というスタンスなのでこれもねたということでよろしく!)  僕の父方の先祖の墓を ただ一人生き残った義理の父兄が どうやら具合がよくないということで ほったらかしにしてあった墓を 坊さん読んでお経上げ 土に返す それを見届けにいくということで両親をはるばる連れて行った(僕自身両親に会うのも何年ぶりか) お互い顔を合わすのは 初めて そして最初で最後 お互いにそれはわかっている でも そこは血のつながりでもって 会えば自然と顔もほころび 神聖な気持にもなる 僕は 長男として 今までの不義理を詫び 頭を下げ続ける 
 すでに 父が幼少の頃住んでいた家は 朽ち果て 跡形もなくこうして 墓もなくなった 深い山の中で道もないところ 父の背中は震えていた 面会時間は わずか 30分 一緒に 記念写真を撮って お別れ そうこのためにだけ 僕は2日半を犠牲にした あとは空港近くのホテルで温泉入って寝るだけだった これで父に万一あれば僕を縛るものは何もなくなった

ベッドで寝転びながら 自分の育った 田舎の幼少の話が自然と口をついて出る 両親は学歴もなく あの戦争の時代 特に父は(詳しく確かめたことはないが)文盲だ ひたすら肉体を苛め抜き 僕を大学にまで行かせてくれた そしてこうして彼らが生きてきた価値観から 大きく逸脱した人生を僕は今まで生きてきた 日本の戦後という凄まじい勢いで生まれた 世代の違い 10年単位で価値が反転する世界で生きている僕らは いったいどこに向っているんだろうか 別れの駅で 両親は右へ行く車両に 僕は反対の左へ行く車両に乗るときが近づく まるで映画みたいな別れだったけど 僕はそのホームで 両親の手をしっかりと握り ずっと嗚咽していた 母はぐっと唇を噛み締め目を赤らめ 恥ずかしいから泣くな!といさめる 網膜に焼き付けようと電車に乗って動く両親の姿が 最後まで涙でぼやけていた・

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