百姓の詩

寒いのでモロヘイヤとホットカフェオレ ほころび 愛の始まり

8月19モロヘイヤとコーヒー

さて 本日は金曜日ということで 朝からお野菜の収穫に追われる 午後から雨予報だったので ま 午前中にはなんとか肩をつけたいと思っていたけど 朝8時過ぎには ぽつぽつときて その後 バケツをひっくり返したような土砂降り・・・・うう・・・(予報全然あたらねー) ま なんとか収穫して その後 古民家に持ち込んで 梱包作業に入るのだけど いやしかし 寒い・・・・昨日まで熱くて暑くて どうしようもなかったのに 寒いってどういうこと?
 くしゃみは出るし 古民家は外よりも寒いので 思わず ホットカフェオレを入れる(今日の写真) 隣はモロヘイヤ
寒いので 仕方なく 汗かいて着替え用のTシャツを重ね着する まったく どうなってんだ? という天候 明日 また 熱くなったら まじで暴れる

 さて 農繁期本番を迎えて 忙しいわけだけど そうなると いろんなところにほころびが出始める もちろん プライベートな生活は 基本崩壊の一途を走っているので今更どうしようもないけど やはり 集中力が落ちているのか・・・ 僕の畑から 古民家へ野菜をしこたま満載して 国道の信号交差点を左折するときに やってしまった・・・
 3つに重ねた 収穫コンテナの一番上の 茄子がコンテナごと 遠心力で 転げ落ちてしまった そう バックミラーに写ったときは あとの祭り・・・ なんと 交差点のど真ん中に 茄子が散らばる すぐに 降りて行って大半を拾うけど(運悪く田舎の出勤時間と重なり 俄然注目浴びまくり・・) 信号が青に変わって 撤退せざるを得ない うう・・ ごめんよ茄子君 少し残してしまい その後 車に轢かれた(俺が悪いんです)
 そして 極め付きは 夕方家に帰ってきて 冷蔵庫を開けると 一番目の前の 冷蔵室に 作業用手袋が置いてある・・・??? 全く持って 意味がわからない 俺が入れたのは間違いないけど その時の俺は 一体何を考えていてそれをしたのか?(または何も考えてなかったのか?)・・・・作業用手袋冷やしてどうする?
 洗濯したてだったので まだ 助かった・・・ と このように ばたばたしてくると いろんなところに ほころびが出てくる ま 仕方ない 今年の作付けが終わるまでは もう このまま行くしかない 年末にはたぶん いろんなものが崩壊しているだろうて・・・

 (愛することと 愛されること)・・・・どちらかしか 選べない と言われたら あなたはどちらを選びますか?
当然 一生愛されることが約束されたならば それは 幸せかもしれない(ま 誰にって問題もありますが・・)
で この年になり 最近 つくづく感じるのは 人に愛される ということがたとえ なかったとしても 何か愛する対象があれば 人は生きていけるのではないだろうか? ということだ(もちろんそれが自分でもいい) 
と 考えるに そこには他者とのコミュニケーションは 必ずしも 必要ないのでは?ということだ たとえば 自分が ヘレン・ケラーのように 全盲で耳も全く聞こえない そして 今のように 機械による意志伝達がなかったとして あなたならば どう生きますか? 想像するに 例えようもない孤独と 生きる意味を見つけられなければ 死んだほうがまし と思うのかもしれない しかし 完全に自分だけの世界に孤立していても 何かを慈しみ そこに希望を見出すことができれば 生きる意味を掴み取れるかもしれない・・・ そんなふうに思います

 そして もっと飛躍すると その世界では もしかして 肉体はもう必要ではなくて たぶんそこにあるのは 精神だけなのかもしれない ああ・・・てことは その世界ではもう 死と生 との境は決められたものではなくて 本当の意味での 精神の永遠が獲得できるのかもしれない そう 自分の魂を両手でしっかりと抱きとめることができるのかもしれない・・・・・なんてことを 少し思います 
 なので ひょっとして 世界を作った物自身が 能動的に自らを愛すること その一点から 世界を作り 世界を回転させることを始めたのかもしれない とすれば 我点がいくと思いませんか?・・・ね 今日は 寒さでやられてるでしょ? 

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