百姓の詩

夏が来た! 畑ツアー引き続き募集してます 虚無感

9月14出荷物洗う

しかして 暑い・・・いや 9月の半ばでこの暑さ 動画でもぶつぶつ文句言ったけど 夏本番ですよね 今が・・あと 2週間すれば 10月ってほんと秋来るのかね? 右太股はなんとか普通に動く 良かった 年で一番忙しいこの時期に 体が動かないなんて あってはならないこと 12月になって 倒れるならばまだ許すってことで 体に鞭打って とにかく この秋作を乗り切る

 畑ツアー まだ 参加者が5人に満たない状況です 10月17(日)です お時間ある方 または 畑の現場を覗いてみたい さつまいも掘ってみたい など なんでもかまいませんので 是非とも ご参加くださいませ! 我が農園スタッフ一同 心よりお待ちしております!

 今日のねた・・(虚無感) さて 人間が生まれてきたとして 人それぞれ死ぬまでの間に もし 課題というか宿題のようなものがあるとすれば 一つには 感情のコントロール というものがあるはずだ と思う つまり 喜怒哀楽含め たくさんの多岐に渡る いろんな感情を経験して そしてそれに 流されないこと・・・ ま 言うのは簡単だけど 人である以上 大変に難しいわけですね 特に 自分自身にまつわること 自分の傷みや苦しみ というものは 本人次第で 克服できるのかもしれないけども 他者の痛みや苦しみ を 自分が どう克服するのか・・・これは 相当に難題だ 僕がその昔 たくさんの 癒しのプロセスを学んだ時に 気づいたことは 他者をコントロールすることはできない ということだ それはつまり その人の苦しみや喜びなど 結論から言えば ほっておくしかない しかして その人が どう見ても 状況が悪くなっていくのを ただ見ているというのもつらいので 手を貸すなりサポートしたとしても 良くならない場合 どうするのか? その時には 何か 大きなものに もう委ねるしかない
 そこにおいて 祈り という領域に人は到達する 

 そして この祈り と相反するものが 先の 虚無感だ 基本的に この 祈りと虚無感は 人の行動を何か制限したり 能動的なものでもない 見た目は たぶんそれほどは変わらないだろう しかして 自分の内側に 常にどちらかを 持っているのが人間で 常にそこには 選択がある 
 僕も 40の半ばを過ぎて 周囲を見渡した時に この国の多くの大人たちが この虚無感にさいなまれているのが見える (何をしても変わらない)(これ以上いやなことが起きてほしくないし 良いこともそれほど起きないだろう) こうした 虚無感に繋がる感情は この社会の中で 生きていくうえで 妥協の産物としてすでに 必須の態度なのかもしれない 多くの大人たちが そうした 結論を出して 仕方なく生きているように思える場面がたくさんあるだろう 
 そして 僕も一人で畑をやっていると そうした虚無感に突如襲われてしまうことがよくある (こんなことをして何の価値がある?)(お前がやっていることで いったい何の見返りがある?) 頭の片隅で 囁きはじめる

 そして いつも 頭の中で構築した自分なりの価値を見出してきて (いや必ずや報われるはずだ 信念を貫くんだ) などと 叱咤激励して畑をやるわけですね  しかして そうした葛藤 虚無との葛藤は いずれ自分を確実に 蝕んでいく・・・ 僕らのような 大人 いろんな世間のしがらみや 仕事を抱えた大人たちが 虚無に蝕まれることなく 生きていく方法はどのようなものがあるだろう? 宗教なり 何かに頼れるのであれば とっくに機能しているだろうけど 全く心惹かれない(たぶん多くの人がそうだろう)
 ま 虚無を抱えたまま それを その中身を凝視したまま 生きていく そのプロセス自体が 人が生きていく道なのだとすれば そうなのかもしれない と思う・・・・うーむ なんだか 結論が出たのか出ないのか・・・うーむ 今日は暑かった・・・ 今日の写真 出荷した野菜を古民家の井戸で洗う ルッコラ・大根の間引き菜・きゅうり 

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