自然や生態系

白菜の海 スピリチュアルの基本 百姓の誇り

10月5白菜の海
今日の写真 さて 10月に入り すでに秋・冬の作付けも終盤 てことで 白菜 最後から2番目の定植です あと 一回 植えたらもうこれで 今年の白菜は終了です いやはや・・・早いですな・・・季節の過ぎ去る足音と言うのは 一般の方はどうなのかわかりませんが 僕のような 年中野菜を作って 出荷している百姓にとっては F1 7速フルスロットルと同じ 轟音と共に 過ぎ去っていくのが 季節ってやつです・・・とても 秋の紅葉などといって うかうかしていられないのですね・・・

 (自分の身に起こることに 何一つ 偶然などない)・・・スピリチュアルティの基本の一歩です 実は そうなのですね・・・自分が 正しくルールを守っていたとしても 何か理不尽なことが自分に降りかかる 生きていると よくあることですね 当然 そこには 現世的な意味合いにおいては 法律的な解決も必要になってくるでしょう しかして それとは まったく別に スピリチュアルな解決も 自分の中で 行っていかなくてはいけないのですね・・・その 意味で それが 何を伝えようとしているのか その 深いところを 探る必要があるわけですが おそらくは そうした作業をしていく上で 最も 大事なのが 正直さ というものです 現代に生きる我々の多くが 自分の中にある 自分への 願望や 目標 そして それと同じぐらいの 劣等感などのネガティブなものなど できれば見たくない 隠しておきたい ものを抱えて社会生活を生きているわけですが それらを まな板の上に置いて 正直に見る必要があるのですね そして それは 苦痛を伴います ・・・・スピリチュアルの基本の一歩は こうして 自分を見る という苦痛から スタートするわけです・・・
 なので 伊勢神宮に行って 20年の一度のイベントに行ったとして 何かが自分の中に生まれることはありません
それは 普段 そうした聖なる場所を 清めて 維持して それに自分の魂を捧げている存在や 貴い方々の努力のたまものであって 凡人たる 庶民は それを 遠くから眺めて 多少なりとも 聖なるものに触れるだけでありがたいということです ・・・自分のテリトリー 会社や家族 そして 自分の家 その足元から何かを始めねば なんらの 徳を積むことがないのは 自明の理 というものです・・・・・・

 最近 僕のお客様の中で 出産で一時 お野菜をお休みになる・・・という方が多い ああ・・・何年もお付き合いをさせていただいていると こうした その方の 人生のどこかの一端を感じる瞬間があります そして お子さんが生まれて また お野菜をお送りする・・・こうして その方のお子さんとご家族の 食の一端を担う ということになります 日々 あくせくと畑をやっていると 過ぎ去っていく労働の日々が 薄っぺらく感じる時も 疲れがたまる時にはありますが こうした ご連絡をいただくと ああ・・と その 意味合いを深く噛みしめる瞬間もあります そして 思うのです これは 誇りをもってもいいものじゃないのか ということです 百姓 というものが 現代ほど ぞんざいに扱われている時代はあったろうか と思います しかして だからといって 誇りを失っていいとは誰も言ってません
 僕は 少なくとも それだけは 失わずにやっていくつもりです・・・いつも ありがとうございます・・・・合掌

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