百姓の詩

竹の片付け ダウン ぎょろ目

2月22竹運ぶ
今日の写真 はてさて 気付けば2月も終わる 竹との格闘の時期も2月まで・・・3月になれば もう畑でそれどころではなくなる 昨日なんとかかんとか 竹を切り倒してこうして運んで燃やしたり片付けたり・・・なんとか 一日かけて一旦終了 結局のところ やりたかった竹林の処理は半分もできなかった・・・また来年以降に持ち越しとなった・・

 今週1週間 毎日 ユンケルと葛根湯などを体に流し込んでなんとか しのいできたけども 今日はダウン・・・今年初めてのダウンとなってひたすら寝込む ノルマのじゃがいもがまだ終わってないけども なんとか ぎりぎり追いつく 残り60キロ 3月頭に植え付けて終了となる 2月半ばに降った雪のせいで こうして遅れを取り戻すのに 体に負担がかかる 農業というのは 実は チャンスは一度きりしかない仕事だ 晴耕雨読 なんていう言葉は 江戸時代に終わった 平成の今 この時代に 宅配セットという有機野菜を生産して販売するこの方法は むしろ 株取引に近いものがある チャンスは一度きり 同じ日 同じ状況 同じ生態系は二度とない 朝 畑に来て 相場を読むように 昨日の計画を一度白紙にして 仕事に臨まなくては 痛い目に会う・・・・半年に渡って出荷し続ける 里芋 これを畑に作づける時間は 実は 半日~1日で決めてしまう そう そのチャンスは本当にその日 一日しかない だからこそ その仕事はけっして 手を抜けない どれだけの畝の高さが必要なのか そのセンチ単位をさぼれば 半年に渡って出荷する里芋の収量が大きく変わるわけだ・・・日々が 勝負となる畑では 体がすべてとなるわけです

 疲れきって 家に帰り シャワーの熱いお湯を頭からかけながら 鏡に映る 自分の目を見る 一日中 土にまみれて 働きまくった血走った目は自分でも驚くぐらい ぎょろっとしている 学生時代 夜中に道路工事現場の 警備員のバイトをやっていたけども 年配の道路作業で働くおっちゃんたちは みんな こんなささくれだった目をしていた サラリーマンをしていた時代 ぴしっと背広を着て ぴかぴかのフロアを練り歩く集団にはそんな目をしていた人はいなかった たぶん 僕はもともと 肉体労働をするしか脳がない人間だったのだと思う・・・数十年かけてたどり着いた結論は いたって 単純なものだ こうして ひたすら働いて そして 年を取っていくのだ・・・・合掌

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