百姓の詩

かぼちゃ収穫 河合先生の残した言葉

7月13かぼちゃ収穫
今日の写真 前半戦のかぼちゃを収穫しました 写っているのは コリンキー プッチーニ 栗かぼちゃ です
しかして 今年は実つきが悪く 収量は良くありませんでした うう・・・まだ そうめんかぼちゃがありますので
それを中心に プッチーニから出していきます(黄色くて小さいのです) どうぞ よろしくお願いします

 気付けば7月も半ば すでに 秋冬の作付けが始まっている キャベツ ブロッコリー類の種まきが佳境に入ってきて 人参も本格化 太陽熱マルチも すでに50メートるを40本あまり まだまだ張らねばならない 忙しさにだんだんと 油が乗ってくる時期だ このまま 10月まで走り続けなければならない 体調がどうとか言いはじめたらきりがない この時期はもう 必ずどこかが痛い 今はちょうど 左の腕の間接付近が死ぬほど痛い もちろん そんな痛みなどはなかったことにして 作業を続ける たぶん かぼちゃの収穫で重いもの持ったからだろう・・・

 河合はやおさんが(名前が変換できない) 亡くなってからどれぐらい経つだろうか・・・賢人と呼ばれた方は さすがに お亡くなりになってからどんどん 評価があがる 素晴らしい仕事をされたかどうかは 死後に決まるわけですな・・・たくさんの 本も残していて 心理学の世界では知らない方はいないと思う そして たまに 読むと今でもはっとさせられる言葉がたくさんある 僕はトイレにたくさんの本を置いていて 用を足すときに ぱっと開いたところを読むことにしている 今日の文章はこうだ (男と女やあまり好きすぎたら一緒に暮らすのは難しい 一体感への希求がやたらに高まり 何からなにまで ひとつでないと収まりがつかなくなります そして そのような生き方は一緒に住んでいると長続きしないのです・・・) うーむ・・・ここには たくさんの示唆に富んだものがあると思います
 
 おそらくは若い時代の恋愛はすべて ひとつになろうとして 失敗するのだと思います 誰もが思い当たるところがあるはずです 恋愛と暮らし 恋と結婚 そして ぱぱとまま 男と女がいろんな立場や役割を変えていき それをどちららかが こなせなくなった段階で そのゲームは終了します・・・・
 そして 同じことは 仕事にも言えると思います 必死にその仕事に埋没して集中していればいるほど どこかの段階で 俯瞰で見なくては前に進めない時期が出てきます その仕事とまったくのひとつになってしまうと それは どこかの段階で 仕事ではなくなり 芸術(アート)の領域に入っていきます それはそれでいいのでしょうが 誰のためにやっているのか 他者からの評価があってこその仕事なわけで その意味で 有機農業というものの最初は みんな そこに罠があるのですね そう 最初から他者を意識して有機農業などやる人はいません 今の世に疑問を持ったり 田舎で生きたい とか 自然と触れる中で・・とか 必ず 自分の中のことが動機になるわけです
しかして そこからスタートして どこかの段階で 必ず畑や田んぼから作る農産物を客観的なところへ出さねばなりません それがいやならば 永遠に家庭菜園をやっていればいいのですね 売る必要はありません その意味で 真に 自分が試される農家として立つには かなりの勇気が入ります 最初はそんなことは気付きませんがね・・・・てことで 僕は気付けば ずっと 一人で生きているんですね・・・・

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