野菜あれこれ

冬瓜(とうがん)収穫 畑の境界は踏み絵と同じ 雨を待つその心境

8月9とうがん収穫
今日の写真 冬瓜(とうがん)の収穫 長さ40mほどのベッド2本のうち わずか 1~2mでこれだけの収穫量・・・
今年はけっこう作ったわけだけども これ 運ぶのが大変と言うレベルを超えて まさに なんというか 命がけ・・
 腰を痛めずに運べないわけありません・・・(泣く・・いや泣くな!運べ!)
冬瓜 2年前から作り始めたのだけども 僕自身 有機農家としての意識を変える一つのきっかけになったと思う
そう この日本という四季のある土地で野菜を作る ということの意味・・・なぜ 雨の降る時期に じゃがいもを収穫せねばならないのか 高温多湿のこの国で なぜ トマトを作るのか・・・? 消費者の嗜好がそうだ それを求めている というのはよくわかるのだけども では 僕が作る必要があるのか? 有機農家として 食べていくには いったいどれぐらいの顧客がいればいいのか? そこから考えるに 別のやり方があるのでは?と ここ数年思うようになった・・・ま とうぶんは トマトもじゃがいもも ズッキーニも作るけども(ズッキーニうまいしね) 違う軸を目指していきたいと思うこのごろです・・・・

 昨日 とある畑で 島オクラの収穫をしていると(これ時間がかかるんですね) いきなり 怒鳴られる・・・・滅多にないことなので 驚くと その畑の隣の方・・・ そう 畑の境界に 草が生えている ということなんですね・・・はい もうそれはもう ここ数年ないぐらいの平身低頭でひたすらお詫びする 帽子縫いで バンダナ外して 灼熱の中坊主頭でひたすら下げる あと 数分長かったら たぶん 畑で土下座したかもしれない・・・
もちろん 僕の有機農家としての感覚ならば それほどの 草の量ではないのは間違いない だってそれほどは 気にしていなかったぐらいだから・・・・しかして お隣の慣行農家さんの感覚は違うのですね そう 草はたとえわずかであっても 絶対にあってはならないものなのですね・・・その 意識の違いはもう 仕方のないことであり どちらが悪いのか? 言うまでもなく こちらが100パーセント悪いのですね 日本の田舎に オーガニックという文化はありません それで飯を食べている人は個として存在して頑張っているに過ぎません 正しくは 除草剤を撒いて
きれいに草を枯らす というのが 現在の日本の正しい田舎の文化です そこに抗うことは無駄であり 僕自身は そこでは一切チャレンジしません 勝手に田舎にやってきて 勝手に無農薬で野菜を作って 商売しているのは僕のほうです 今後も含めて 郷に入っては郷に従え 田舎の掟には絶対服従 そして 別のところでは 一匹狼のレジスタンスとして 世の動きとは一線を画して 自分のやり方でやっていこうと思います

 さて 今日はいつ雨が降るか 雨が降るか と待ちわびながらの仕事 これほどまでに 雨を待つ心境はここ最近ない なので 雨が今日の夜からだばっと降ってくれねば 僕の立場はない すでに いったいどれぐらい雨がないのだろう もう 人参潅水作業は うんざり・・・研修生Aさんも僕には文句を言わないけど たぶん うんざりだろう・・・20歳のころ 一番最初のデートで 駅の西口とか東口とかで待ち合わせを間違えて たしか 6時間ぐらい待ったことがある・・・若さゆえ・・・だね 今 雨を待つこの思いはそれと同じぐらいかもしれない・・・
(しかして明日雨が降らねばまじで俺は切れる・・・6時間後再会したときに頭ごなしにこっぴどく怒られてそれから基本 女性に対しては下手に出る癖がついた最初のトラウマだったと思う・・・・)

   

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