百姓の詩

あれから4年・・・僕の農園のこの4年 そしてこれから・・・

3月14白菜とう立ち
あれから4年・・・・今日の写真 白菜のとう立ち菜が出てくるちょうど3月の半ばの時期に大地が揺れました 今日 種播機を手押しして葉物を播いていた昼過ぎ 午後2時46分 ラジオの時報と共に ベッドの途中で押すのを止めて 頭を垂れて 黙祷する・・・・あれから 4年 この4年を生きた日本のみなさんは どんな4年でしたでしょうかね・・・・僕はといえば まあ 有機農家 という仕事柄 大きく影響を受けました 一時は 離農をせねばいけないかな という状況の1歩手前まで追い込まれました しかして なんとか僕は生き残ることができました・・・
 畑仕事から帰ってきて パソコンを立ち上げて メールを開けるのがあれほど恐ろしい日々はありません 次々と お客さんからのキャンセルの嵐 信頼関係をもって やってきた我が農園 安心・安全 という キーワード以外何も誇るものがない我が農園 その根幹を大きく揺さぶられる事態・・・・(消費者は 果たして 敵か味方か?)
気づくと そんな考えがよぎるようになりました 1年もすると 通常の慣行栽培の農産物は たいした影響もなく 普通に出荷されていて 周囲の普通に農薬を使っている農家さんには 特段変わったことのない日常を送っていた頃 僕は 離農を決意する寸前までいきました・・・結局のところ 僕のような立場の農家が一番影響を受けたわけですね・・・そして 一旦離れたお客様は 帰ってきませんでした・・・・
 あれから4年・・・・もし あれがなければ 僕は今頃は 法人化をして どーんと農業ビジネスを展開していたことでしょう あれが起きて 僕は方向転換をしました あれが起きても 支えてくれるお客様が 変わらず買い支えてくれた事 それが すべてなのだ ということです その待ってくれている お客様 そのお客様のためだけに 僕は魂込めようと思いました 農園をでかくするとか 一般的なものは すべて手放そう その原点に向き合ってこの4年やってきました 昨年末 ようやく 震災前の最高売り上げを更新して 我が農園は 新しい段階へと走り始めたところです・・・・

 そして もうひとつ・・・この4年 僕が何がって思うのが 表面としてのシステムは何も変わらなかったことです
もちろん あの出来事は日本の多くの人にメッセージを投げかけました そして それを魂深く受け取った人は少なからずいたはずです あれが起きたとき 僕は思いました (あ これで多少は変わるだろうなと) 僕がずっと勉強してきた パーマカルチャーやエコ的なもの そうしたものがここで一気に中心となって 都市中心のシステムから 自給的田舎的なシステムに移行するきっかけとなるだろうと思いました しかして・・・結果はご覧のとおり・・・ 原発すら止められないというこの事実は 僕には 恐怖です 狂っているとしか思えないというのが正直なところです あの日 都心では多くの人が徒歩で帰路に付いたはずです そのとき多くの人が 感じたのだと思います 今のシステムではだめなのだと・・・ そこには 深い真実があったのでは?と思います そして やはり何も変わらないとすれば 何かをやって変えていくしかないのだろうな と思いました そして 僕にできることといえば 畑しかありません そして 畑から何かを訴えていくしかありません・・・ということで 講演会などをやるようにしましたが・・・(しかして 手ごたえはありませんでしたな・・・畑は多くの人にとっては遠すぎるんだということを悟りました) 表面上は何も変わってないですけども 深いところでは 凄いスピードで変化が起きているように思います ただ やはり 僕がいる業界では 変わらず厳しいことは間違いありません それは あと数十年この国では続くでしょう 僕が目の黒いうちはまあ たいして変わらないと思います ただ 何かきっかけのようなもの ひっかかりのようなものは残したいなと思って 今はやっています 勝負はこれから 本当にそう思います そして これからが 本当に試されるのだということです 祈っているだけでは何も変わりません 金を集めるだけでも何も変わりません その両方を フラットに扱える領域で持って 事を進めていくこと・・・それが 今この瞬間に求められていることなのだと思います てことで まずは 物件探しと じゃがいもを植えることですな(ああ!両方頭痛い!激痛!) 

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