百姓の詩

カフェの至福 電源 未熟かピュアか

4月2カフェ
今日の写真 昨日4月1は 研修生Kさんが実家の北陸へ2日用事で帰ることもあり オフにする カフェの物件も決まったこともあり 香取神社にお参りに行き帰りに よく行くカフェに寄る・・・甘いケーキと美味しいお茶 それだけで 2時間は優に持つ 何もしない 何も動く必要のない時間 それは 今の僕にとっては 至福のときである 頭をからっぽにできるその豊かな時は しかして 過ぎ去るのも早い・・・だからこそ 仕事として自前のカフェを作ろうということですはい

 4月に入った 毎年 3月末までにやっておかねばならない仕事のいくつかが繰りこされる 里芋の植え付けや白菜の植え付けの最後 など・・・今日 白菜を植え終わって これで 春野菜の作付けも残り少し あとは 夏野菜が本番を迎える 東電が例の電柱を立てる件で再度 現場にて打ち合わせ 大きな組織と言うのは 分業と決まっているので 最終的に誰がどこの部署が責任を持ってくれるのかがわからない 今日現場に来た人は たぶん クレーム専門処理係りの人 最初から 土下座しそうな勢いで 平身低頭な対応 それを求めているわけではないので どうにも歯がゆいのだけども とにかく 電源が来ない事には保冷庫は冷えない なんとか 4月末までには電柱立ててくれるようだ ほっとする・・・普通に お願いして 普通にできること ただただ 僕が求めているのはそれだけです

 未熟とピュアの違い・・・・50が目の前になり 自分が成熟した大人になったのか?と 問われて まさかとんでもない! むしろ 精神的に退行しているぐらいの気分がする というのが正直なところだ たぶん 今やっている仕事にも関連すると思うけども モチベーションがすべてであって 自分なりの意義や そこに賭ける思い というものが 感じられなくなった瞬間に あっさりと 僕は畑から足を洗うのだと思う(もちろんそう簡単には止めませんし途中では投げませんからご安心くださいませ) 
 このところ 10代前半の たぶん ピュアだった時の自分の心の動きが蘇る 朝一番の誰もいないしんと冷え切った体育館に足を踏み入れた時 暗い夜道の峠を 立ちこぎで必至に自転車で家路についている時 好きだった女の子が廊下で僕の前を歩いている時 あのときの気分 匂いや心の素早い動きを探っていると 自分がどうにも変わっていないことがわかる では 今の自分が 未熟なままなのか?と問われたらば いやまあ 多少は・・・成長したのかな と思いたい つまらない大人ではなくて ピュアなまっさらな気持ちの大人でいられること そここそが目指すべき平原なのだけども でも たぶん いやらしい大人の部分もたくさん抱えているんでしょうな・・・それを認めるのは じめっとしたいやな感じだ 穢れなき百姓 というのは 現代において成立するのかわかりませんが 何の形や組織やあり方など とらわれのない世界へと向って生きたい 本当に50を前にして そこは 譲れない一線ですな・・・

1 thought on “カフェの至福 電源 未熟かピュアか

  1. 私も以前東電に作業を頼んだとき、何一つまともに出来ない連中だと思いました。どうりで原発が爆発するわけだ。
    これからも気を付けて。
    >被害者は全国いたるところにいるわけですな・・・・

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