百姓の詩

カフェちょうちん 今年もお世話になりました! 51対49 その2なのよ!

12月31カフェちょうちん
今日の写真 さて 新年より夜メニューが始まることもあって 提灯をぶら下げてみました ロゴも入れてもらいまして なかなか 可愛いのではと思います・・・昨日は 今年最後の営業日 店を閉めて 大掃除を敢行 床やいたるところをごしごし磨いていきます・・・オープンして半年 いやあまあ なかなか大変だったなと思います・・・
畑も大変ですが 店も大変・・・楽なことなど何もありません しかして やっていくのです 続けていくのですね
 店は 1月5(火曜日)からの営業となります 今年も大変お世話になりました 来年もどうぞ よろしくお願いいたします!

 人のために何かをしようとする人 ー 自分のために何かをしようとする人 このふたつの中でほとんどの人は迷ったり 揺れ動いているわけです その割合は常に変わっていき 9対1の人もいれば 8対2の人もいれば 2対8の人もいます そして そのどちらか一方だけを 10に持っていこうとするときに 多くの場合 歪み が生じます それがときに テロになり カルトになるわけです どちらかだけを極めようとする行為は おそらく 病を生じるのだと思います・・・・たぶん ほとんどの人は そうならないように そのバランスを取ろうと常に自分を見ているのだと思いますが その割合が 51対49 と 49対51 となった場合 その差はわずか 2 だけども しかして その2は決定的なのだと僕は思っています つまり 最後の最後のところで この人はどちらの側に立つのか? ということです そして そのわずか 2 という差が 時に人生にとって 決定的な場所へその人を運ぶことがある その2が 運命的に試されるようなことが必ず 人生には一度や二度巡ってきて その人は逡巡することになるのだと思います・・・・

 僕は その人を見て (この人は最終的に その2 どちらの側に立つのだろうか?) と 直感的に感じるようにしています もちろん それは 僕の主観であって 何が正しいとか 判断とか もちろん 裁きのような失礼なことではありませんが 感覚的に それがすっと入ってくることがあります そして その2 が明確に (ああ この人は間違いなく最後には絶対に こちらの側に立つのを迷わないな) と感じると 無条件に(たとえ その人と初対面で名前も何もしらなくても) 自分を預けられる 託せる ような気になります・・・・
そして 何が悲しいといって さも普段から 片方の側に立っているような雰囲気を見せて しかして 最終的に腹の中では 反対側を選択する ということを決めている という人がいます そして そのコミットを自分も自覚していない・・・僕には そのことが許せない そして 罪が重い ように感じてしまうのですね そして そうした人は意外に多くて 善意 という隠れ蓑をうまくまとっている分 身の処し方が華麗だったりして なんともいえない気分になったりします(もちろんすべて自分が勝手にやっていることですが・・)
 
 人を信用する ということは 実は命の取り合い なのだと思います そして それは 先の2をどう見極めるのか?(もちろん自分自身のことですら) その判断にかかるのですね 僕は 畑をやっているときには いつも ぎりぎりのところで 自分の中にある その2を 見ようとしています そのきりきりとした疲労の混じる緊張感の中で 自分の2をみるときに 失望したり 奢ったり 罵倒したり 嫌悪したり しながら やっていくのですね・・・てことで 2015年は終わりました 新しい年が来ますね・・・今日よりも明日 より良い日がやってくるといいですね・・・・合掌

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