百姓の詩

とうもろこしの種 いつでも瞬時に土下座 仕事に魂を込める

4月7とうもろこしの種
今日の写真 これはとうもろこしの種 我が農園の場合 当然ではありますが 遺伝子組み換えではありません
そして きゅうりの種は固定種を使用しております そのあたり 気にされる方もおられるかと思いますので 念のため・・・

 卵の引き取りににわとり村さんへ行く途中にいつも寄る 田舎のドラッグストア ここ最近は人手不足でいつもスタッフを募集している この時期は特に人の入れ替わりが激しいのか 新入りも多く レジも遅くて混むわけですね なので 並んでいる人は ああ・・新人さんね 仕方ないわね 的な感じで我慢強く待っているのだけども そんな新入りさんの中には たぶん 今年高校を出たばかりの フリーターさんがいたりする 田舎にはまだ ちょっとそうした 不良ちっくな感じの 独特のズボンを腰に引っ掛けた感じの若者が生息していたりする・・・・見ていると生意気で 何かと言えば はあ? 的な感じで 自分という存在が 10代特有の (俺は特別) 意識に満ちていて 微笑ましい・・・・・僕はそこから 約30年経った 20歳を過ぎて どれだけ頭を下げてきたろうか 10代のときは目の前の彼よりも数段生意気だったと思うけども 万力のようにぺしゃんこになるまで 何度も鼻や全身まで打ちひしがれてきた それが 社会というものだ 世に出ればみんなそうだと思うけども 謝って済むことならば事は簡単 今では土下座など瞬時に何の躊躇なくできます(なんせ身分は百姓ですからね)
 お金で解決できることは ある意味大変だけども なんとかなる・・・・土下座をしても いくら金を使ったところで 解決できないことが 山ほどある・・・それが世の中というものだ とわかってきてからは すべからく 瞬間に起きていることを逃さないようにと気を使うようになりますわな・・・・(でも取り返しのつかないことはただ黙って見送るだけというのが真実ですよね)

 50を過ぎて強く思うことその2・・・・仕事をきっちりとこなす ということと 仕事に魂を込める ということの違い・・を感じます たぶん 歳を取れば まあ ある程度の経験と技量があれば職場でも 求められている仕事をそつなくこなすことはできるでしょう しかして・・・魂を込める となれば それは簡単ではありません そして 実は 仕事というものは すべからく 魂を込めねば意味はない・・・のではないか と思います 僕がやっていることというのは 結果はすぐに出ます 野菜を見れば一目瞭然・・・・ その結果をつぶさに見れば 過去にした作業が きっちりとやるべきことをこなした結果なのか それとも 魂を込めたものだったのか その差異は明確に出るのが 畑 というものです
 そしてそれは 悲しいかな自分にしかわからないものです ゆえに そこを見始めると仕事の本質は孤独なのです・・・なぜにイチローがバッターボックスに入る前に 決まったように同じ型を繰り返すのか 黒田がマウンドで放つ斬り合いのような雰囲気はどこからくるのか・・・・生きる という行為は 自分を楽しませることなのか・・・僕にはどうしてもそうは思えない 思えないのですよ 魂を込めて日々を送る という行為は 喜びや怒りや悲しみそして孤独を超えていくことであって 何かを越えていこうとする行為なのでしょう そしてそれはいつの日か 自分という存在すら超えていこうとするところまでいけるのではないか と 最近は思います・・・・ノウマクサンマンダ 

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