百姓の詩

シェリー 俺は・・・・じゃがいも終了 少年時代の夏

7月3シェリー
今日の写真 連日のじゃがいも堀りで しばらくはもうじゃがいも見たくないわけだけどもの 品種 シェリー・・・
(シェリー 俺は転がり続けて こんなところに辿り着いた シェリー 俺ははぐれものだから お前みたいにうまく笑えやしない・・・シェリー 俺はうまく歌えているか 俺の笑顔は卑屈じゃないかい 俺は誤解されていないか 俺はまだ馬鹿と呼ばれているか 俺はまだまだ恨まれているか 俺に愛される資格はあるか 俺はけっして間違っていないか 俺は真実へと歩いているかい) 
 20代で亡くなった同い年の 尾崎豊 生きてれば彼も50歳・・・(しかして頭はげた50になってもこうもこの歌詞は響くかね 参るよ) もし 生きていたとして 50になって どんな歌詞を書いて どんな渋い声で歌っているのだろうか 僕は彼のファンでもないけども 彼には 言霊(ことだま)があった たくさんのものを背負いすぎて逝き急いでしまった彼に もし 歌でなくて・・・という選択があったとしたらば 今週末にある 選挙に出る手もあったのではないだろうか と 思う 某NHKの政見放送にて じっとテレビカメラを見つめて 50歳の尾崎が有権者に何を語るのか 是非 俺は聞いてみたい・・・・(諸行無常か)

 今日は暑い 暑い 暑い 連日このようにじゃがいもを掘りまくっていて もう完全に飽きてしまいしばらくじゃがいも見たくない(これをじゃが嫌病 と言って 貧乏農家にまれに出やすい症状らしい・・・嘘よ俺だけよ) 今日はバイトの20代若者格闘家と援農ボランティアに週1で来てくれている方二人いたので なんとか 今日でけりをつけたいと朝から掘りまくる なんとか 夕方早めに終わった これで2016年のじゃがいも堀りはすべて終了 昨年よりも50キロ程度種芋多かったのに 昨年同様の収量 うーむ・・・そして もう両膝は痛いとか痛くないとかを超えてしまった 二人には感謝だ しかして 空梅雨だ・・・・これはもしかして 梅雨明けかもしれない うーむ 人参の種まき 例年ならば湿り気で播けるのだけどね 困りましたな・・・

 夏が来ます どうして 少年の頃には夏がやってくるのがあんなにもうれしく待ち遠しかったのだろう 今思えば別に何をするわけでもないのにね 自分が生きていく世界がどんなものか何も知らずに ただただ あるがままの田舎の自然を満喫していた少年時代 山の奥に行けば そのまま飲める小川で泳いでいたあの時代 なんだろう 思い出すたびに どこまでが本当にあったことで どこからが 自分がその後脚色したイメージなのか その判別すらつかないのだけども ただ 幸せなゆったりとした時間が流れていたあのとき・・・・今みたく 暑くて暑くてなんてなぼやきはなかった(クーラーなんてあるわけもないのに)・・・・この感傷はやはり 歳を取った ってことでしょうかな・・・・(南無)

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