コラム・百姓から見た世のつれづれ

論理性と夢

47f1072c.朝 5時過ぎにふと目が覚めて (!) 起き上がれないことに気付く はい 腰が・・・
腰が動かないのです 動かせないのですね 一瞬パニックに陥るが 冷静に判断して 
ぎっくり腰ではないようだ ただ 起き上がれない しばらくそのままでゆっくりと 動いてなんとか 床から這い上がる スローモーションのような動き まいった 半年に一度はやったくる 恒例行事のごとく 腰痛が襲ってくる 午前中はトイレに一度行ったきり 横になって「いる 昼過ぎにようやく 少し動けるようになる ただ これでは畑仕事は無理 てことで今日は休む まだ陽も登っている時間に 家にいることに対して 罪悪感を覚えない百姓はいない
だろう でも 仕方ない 日曜日だから というのが 救いになる 夜にはようやく 普通に動けるようになった 明日の出荷はなんとかいけそう よかった

明日は 新玉ねぎの赤玉ねぎを 出荷する予定 ズッキーニも少し出せるかな 全部のお客様には 行かないかもしれない 当たったお客様はラッキー 今日も曇り 相変わらずはっきりしない天気

さて 論理性と夢 先日畑に 農に関する新事業の立ち上げの話を聞いていて 強く感じたこと 僕も この9月で一旦 畑は撤収となる おそらく 次の場所を見つけたり 引越ししたり
どう展開していくのかに ついて この論理性と夢 という相反するものがテーマになるだろう

新しく 自分の中にアイデアがあるときに 夢をおもいっきり広げて イメージしたりすることは とても大事で その自分の頭の中にあるときに いかに自分がそのイメージをリアルに感じられるか おもしろそうか なんだか力がみなぎってくるか がまずもって 凄く重要
 そのときに お金のことや いろんな束縛する条件を無視しても やる価値があるのか 
やりきれるのか 自分の心に正直になる必要があると思う ここで 自分の心をごまかすと たぶんうまくいかない 

同時に 自分のことをまったく知らない 第3者の人に しっかりとその夢を話すときには
しっかりとした 論理性が必要となる 資金 時間軸 売れるのかどうか など 客観性が問われる 社会と向き合ったときに まともなものなのかどうか まったく興味がない人でも メリットを感じてもらえるのかどうか? 
 この二つの面から見て バランスがとれていないと たぶんうまくいかない どちらかに偏った事業なり プラン 人は 見ていて なんか無理があるなー と感じる 僕ももともと偏った人間なので 気をつけようと思う 
 今日の写真 かぼちゃ 大きくなってきた 夏をお楽しみに

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