百姓の詩

きれいなサニーレタス まっすぐ! 人が帰る場所

2月1きれいなサニーレタス
今日の写真 これは生育中のサニーレタス いつもお世話になっている高柳家さんのハウスです さすがにプロですね 美しいのです 見る人が見ればわかる それが農業であり プロの世界です 僕のような完全無農薬で農産物を作っている となれば 多くの人は なにやら山奥で 白いひげを生やした仙人のような人をイメージする一般の方もおられますが 実はさにあらず・・・昔ならいざ知らず 今の 有機農業の現場というものは かなり 戦略的でもあり 緻密でもあり そして 直線的でもあります・・・自然農で有名な 福岡さんのどろだんごのようなものとは実は まったく違うのですね(僕がやっているBD農法も同じものだと思われていて説明する気にもならない・・)
 
 研修生Aさんに 何度も言います(まっすぐに ひたすらまっすぐに・・・) そう マルチを畑に張るにしろ 種まき機を走らせるにしろ とにかく まっすぐでなければのちのち困るのですね そして 50メートルの長さをまっすぐに走らせるというのは 簡単ではないのですよ いかに 人間の目や感覚がおそまつなものかがよくわかります 今 じゃがいもを植え付けていますが もし 1本でも曲がってしまったらば その隣のベッドも曲がってしまいます そして 芋ほりの時には トラクターに設置した芋ほり機械でほりあげますので 曲がっていたりなんかしたら 芋ほれません・・・てことになります 生態系は 生から死までのワンサイクルの 円の循環を繰り返しますが 我々有機農家の畑仕事は 計画的で緻密であらねばなりません その 一見反駁するかのようなものを 自分の中でいかに 統一していくのか・・・そこに 成長があるのですね

 高度成長があって 人が生きていくうえにおいて 家族 という単位ではなくてもやっていける そんな時代が生まれたのが 僕らの青春の時代でした 社会と対峙していくときに 常に 家族や会社やなんかの団体ではなくて 個人 として立ち向かえ というような暗黙の了解があった それが 80年代から始まったのだと思う そしてそこには 常に右肩上がりの経済成長というものが背後にあったのだということが 今になってよくわかります・・・
さて 時はバブルがはじけて なにやら雲行きがおかしくなり 3・11が起きて もう後戻りがきかないところまで多くのものを失った とほとんどの日本人が気付いたのだと思います・・・・そして 多くの人が 原点回帰 のように 家族やどこかの コミュニティに所属したい というひそかな願望が生まれているのだと思います それは たぶん農耕民族のサガ でしょう しかして ここに問題があります 家に帰る として いったいどこに帰ればいいの? ってことですね 家族?会社?田舎? まさか・・・(田舎にはいのしししかいないよ)というところに 問題の根があるのだと思います
 ネットによるつながりがそれを象徴しているのだと思いますが はたしてその受け皿となるのか? 僕はならない という結論です もちろん ネットは物理的な距離をなくしたという意味では画期的だと思いますが 心深く繋がるというところまで至るでしょうか・・・人はそれほど 便利に心を扱うほど成熟した存在ではない と思うのです
 
 家族や会社が受け皿とならないとして 今後どうしたつながりを実際の社会の中で作っていくのか・・・そのヒントが 農 というものに隠されているのだと思います 農は すべてを繋げる根幹のような力を持っています 大地に根ざしたものです たぶん そこに気付いて そこから人のつながりや社会を見直せば やすらぎのようなものが人の心に生まれるのだと思います 僕自身 そうしたものを 田舎で そして都市における土のにおいのするようなカフェで 作ろうと思っています ま 実験ですな・・・それは 僕自身を救う旅でもあります 農業をやりはじめたときから ひたすら そうしたものを夢見てきました どこにたどり着くのか どうなるのかさっぱりわかりませんが 必ず たどり着いてみせる と自分に言い聞かせています・・・・・
 

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