百姓の詩

じゃがいもの花 日本の奥底に流れる泉

5月18じゃがいも花
今日の写真 じゃがいもの花が咲き始めました 気づけば5月も半ばを過ぎて 来月にはこのじゃがいも堀をせねばなりません 来週 念願だった保冷庫が畑にやってきます 5年ローンでもってせっせと払わねばなりません
しかして これでようやく じゃがいもの芽かきもしなくていいし 保存も大丈夫でしょう 今まで 納屋でじゃがいも保管してきましたが ひどいときには 半分近く傷んで出荷できません これでずいぶんと楽になると思います
苦節15年 一歩一歩こうして 本当にゆっくりとした足取りで 我が農園は前に進んでおります 当初から 綿密な計画などなく 本当に迫り来る問題になんとか 対処しながらやってきた15年でしたが あと 1歩というところまで来ました・・・・今年は 直営カフェを出します 今 内装工事をしております 7月オープンは目の前 準備に追われています

 30代の前半のころに こうした農的なことに興味を持ち それは 自然と共に生きるネイティブアメリカンと出合い 彼らの文化に触れたことがきっかけでしたが 今 自分の中にあって意識するのは ネイティブ・ジャパニーズ というものです (日本の伝統的な生き方) 最近 強く思うことです・・・・
それは 単なる 田舎暮らしや ロハス的 オーガニックなんちゃらといったものではなくて もっと 長い千年単位でこの国の中枢に脈々と流れるもの 触れえざるもの 聖域 と呼ばれるところから 泉のようにあふれ出ている何か・・・そこに意識が向いています 農業を実践している人にしか見えない領域というものがあります それは 頭ではない 知的領域からは 決してアプローチできない領域です 日々の農的な作業から生まれる労働 季節の巡り そして 植生を学びながら 生態系と繋がっている事 僕がこの15年やってきたことです そこには 言葉を超えた何かが確実に存在します そして それは この惑星である 地球と言うものに直結しています 環境 あるいは 環境問題 と学者や識者が言うたびに 抜け落ちるもの それは 僕が普段 日常のそうした農作業から感じ取っている 霊的なつながりのようなものです そこを見ずして 環境を語ることなど本来あり得ません・・

 映画(インターステラー)で 重力と相対性理論 そして 時間・・・とてもおもしろく表現していましたが 僕らのいる3次元の枠を超える何かが存在していて そこにアプローチするには 科学の限界があり たぶん それは自然や生態系からアクセスする方法があるはずです そして 確実に人間はそこの入り口まではいける存在なのだと思います 僕はそこを見たいと思います 人というものが何で なんのためにこうした人生というゲームが行われていて 人がこの星でできる役割はなんなのか 僕はそれを知りたい・・・・
 日本の中に流れるずっと守り続けてきた大事なものは たぶん そこに明確な答えを保持している そして 常に答えをオープンにしている そう感じてなりません 日本の伝統的な農耕 というものを もっと高みから見たい
ずっと僕はそう考えてきました ええ ご存知のように 僕がやっている農業は現在 この国では風前の灯火でもって 社会的にも最下層に位置しています これは 果たして 偶然でしょうかね この国の堕落が始まったのがいつか知りませんが だからこそ 聖なる領域は守られるべく 扉を閉ざして 来る時代をひっそりとひたすら門戸を閉ざして待ち続けている 僕にはそう感じられます・・・・
 いつの日か この国の聖なる領域と 日常とがもっと近くなり ネイティブアメリカンやチベット密教が持つ 秘儀 の世界と同じく 日本の語られる事のなかった歴史や素晴らしさ を受け取る時代が来る事 あと 何年かからうでしょうかね・・・

 

1 thought on “じゃがいもの花 日本の奥底に流れる泉

  1. この映画が良いみたいですね。

    http://umiyamaaida.jp

    農耕と神事は切っても切れない日本の文化だとは思っているのですがいかんせんキッカケがなく学んでいない現状がありお恥ずかしい限りなのですが暇を見つけて観てみたいと思っております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA