百姓の詩

食は命 草の気持 リアルな情緒

今日の写真 トラクターを借りに高柳さん家に行くと おかみさんが出荷用のモロヘイヤをきれいに袋つめしていた 『食は命』 と書いたビニール袋 重い言葉だ そして これは自然食品店への出荷分なのだけど お値段を聞いてびっくりする 随分安い もちろん都内のお店に並べば けっこうな額になる 正直怒りを禁じえない 30年完全無農薬で作ってきたその野菜 その価値がきちんと正当に価格に転嫁されているとは思えない ほんと 農家は結託して 都内に野菜がんがん持っていって 直接売ることを考えたほうがいい もちろん自然食品店なり 小売店もがんばってその役割があるとは思うが まずは生産者である農家がもっと潤うことがなによりも 大事だと思う 

 新しく借りた畑 今日初めてトラクターをかける 来年の春作に使う予定だ この秋にはバイオダイナミックの調剤を撒いて 緑肥を種付けして土作りを行う この一月 わざと草をはやしていた 地主さんがどなたかに依頼して きれいに定期的にトラクターを入れていたようだ なので僕は土の状態を見るために 草を生やして どんな草がどんな感じで生えるのかを観察したかった それを見れば 畑の土の状態 だいたいの感じはわかる そして トラクターをかけているときに 奇妙な感覚が襲う (草はめいっぱい生えたかった) みたい そう かなり伸びた草を鋤きこんでいたら そんなメッセージがやってきた そう 草はその目的があって生えて来る ある程度 その気持を汲んでやることは大事だ もちろん野菜を作っている以上 管理は大事だけど 畑に草一本もない状態は やはりおかしい 初めての畑に挨拶しながら トラクターの上から そんなメッセージを受けた

(リアルな情緒) 時代はどんどん便利になり いろんなものが簡単になり その分 人が生きることに負荷がかからなくなっていく 奥ゆかしさとか 一見面倒なものの中にある 素敵な 間 のようなもの 茶道の世界で表現されるようなものが どんどん取り残されていくように思う でも 人はある一定の情緒 を感じなければ 生きていけない動物なのだと思う ゆえに 今回のオリンピックや 最近の韓国ドラマ そして農業 といった 自分の生活から遠ければ遠いほど リアルな情緒 を感じようとするのかもしれない 対象が自分の生活圏の外にあるものでしか リアルに感じられないという この矛盾 自分の日常は美しく簡素になり 一方で 差別や貧しさ 困難 といったものを 画面を通じて感じた時に たくさんの涙を流す もちろん僕も含めて そんな感じがするという話 生活が楽になることは誰もが 夢見るいいことだけど そこにある空白を 別の何かでもって埋めようとする 気持は 先進国の宿命なんだろうか・・・ 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA