百姓の詩

お客様からのお手紙 いつの時代でも変わらないもの

8月29お客様からの手紙
はてさて・・今日の写真 古民家で仕事をしていると 郵便屋さんがやってくる いつもの僕の講座に入金を知らせる通知と このお手紙 ここ数年 僕のお野菜をお取りいただいたお客さまから 今回お野菜をお辞めになる ということで こうしてわざわざお手紙をいただいた・・・ 僕は 野菜を作って売っている 百姓で お客様はそれを買っていただいているわけだけど そこには いろんな関係性が含まれる はっきり言って 僕は 畑をやっていく上での 悲喜こもごも をできるだけ 赤裸々にありのままに さらけ出している なので お客様は ひょっとしたら 僕自身が見えていない部分まで 僕の事を見えていることも多分にあるのだろうと思う 
 この 直接的な関係というのは 時に僕からすれば 大きなプレッシャーになることもあれば もちろん 大きな励みにもなっていて このやり方でなかったら とっくの昔に僕は 農業をあきらめていたのは間違いないと思う・・・・
 お辞めになるお客様の大半は みなさん お引っ越しなど よんどころのないご事情があって 大変申し訳なさそうに みなさんお詫びされます ありがたいことですし 本当に恐縮してしまう ・・・ ネットか口コミか何かで 僕の野菜に興味を持っていただいて 一回でも お野菜を取っていただける それが今のこの時代 どれだけありがたいことだろう ・・・それはもう 年々 日々 感じる次第です

 カセットテ―プ → CD → MD →ipod と 音楽を聞くスタイルは変わってきたわけだけど 僕は学生時代にはカセットテープでウオークマンで聞いていた あれが 27年前・・・僕はカセットのやつしか結局持ってなかったけども 知らないうちに こうして変遷してきて 今の ipodなるものが どういうものか 手に持ったことすらない・・・(今はもっぱら くわだけど・・・) そして 途中の過程は何も知らないうちに 消えて行った・・・そう 道具は次の便利なものが出てきたら すべて 駆逐されるということだ そこには何の感傷も哀愁もない ただ次に移り変わっていくだけだ
 便利な道具 というのは このように どんどん変わる だから 僕は思う では 変わらないものは何だ? 人にとって 時代が変わろうとも ライフスタイルや政権や社会情勢が変わろうとも 変わらないものは何だろう? と・・
そして たぶん 僕はその時代が変わったとしても 変わらないもの に興味があって 自分自身をそこに追求させていきたいと思っている 魂 - 命 -そして 人間 それは いつの時代にあっても 変わらない 2000年前に イエスが生まれて 愛の概念が生まれて以降 人は精神性の高みをその都度 登ってきて 今はおおぴらには お互い殺し合うことはタブーになりつつあるけども しかして 暴力性のない一見 紳士的な 醜い戦いは続いている むしろ 肉体的な暴力性に訴えることができない分 そうした 理屈や法律の穴をついた 非人道的な攻撃性は 金融ビジネスを中心に 蔓延しているのだと思う 裁判さえ勝てば 道徳的な問題である 恥はかき捨てる・・・・肉体としての暴力の段階を超えつつある我々だけども 今僕らが直面している 一見 合理的で整合性のある この非人道的な仕組みをどう乗り越えていくのだろう・・・それには 先の いつの時代にあっても 変わらないもの と言う原点がすごく大事なような気がします 食べるもの 水 そして 身の回りの環境 そうした 生命の根幹を為す 足元のことを見つめることで 打開できるような気がします・・・・

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