百姓の詩

みさきキャベツ 逃亡の果てに・・・母の日に父を思う

5月9みさき
今日の写真 出荷の始まった みさきキャベツ 今年はキャベツがうまくいった 秋・冬からのキャベツとこのみさきキャベツトンネル栽培がうまくつながった 時期的にもう 端境期が脱出したようでほっとする ズッキーニがそそろそろぼこぼこ出てくれば一安心 カフェの準備が本格的になってきたし 作付けもてんやわんやなので野菜ができていることが一番助かる・・・・

 先日もそうなのだけども 研修生が二人1ヶ月ほどで逃亡したというと 多いに受ける そして必ず聞かれることが(何をしたの?)とくる うーむ・・・どうやら 我が農園を 何か非合法の組織なり 収容所のようなものと思っているかのようだ・・・そして 最後には (逃げて正解だよね)的なニュアンスの言葉を残して去っていく いや だから 誰も残された俺の立場を心配してはくれない・・・・

 母の日だったので 久しぶりに実家に電話をする 父がどこか外に一緒に行ってもおしっこができなくて困ると嘆いていた 父は厳密に言えば健常者ではない 用は外だと安心しておしっこができないので 家に帰ってきて
我慢していてするということのようだ・・・・実を言うと 僕も小学生ぐらいまでは 学校でなかなかできなかった 空地や外ならば平気なのだけども トイレの特に隣に人がいると安心してできなかった・・・
 自分がものごころついたときから そうしたことで 父親とか父性 というものの体験がないのだ とわかってからは グループなり組織といったものにどうしても馴染めないことの理由がたぶんそれなんだろうとおぼろげに思ってきた 大人になり 権威や偉い人たち という集団に嫌悪感が出てしまうのも 父性 というものの概念とどう折り合えばいいのかがわからなかったからだと思う そして 今でもそれは厳然と自分の中にあるわけで 一人で百姓をやっているわけです・・・・
 もちろん 一人の大人として TPOに応じて多少なりおかしく見られないように 振舞ってはいると思う 多くの人が僕と同じで 実はよくわかっていないのだけども とりあえずこうしておけば大丈夫だろう とお葬式でのご焼香のような感じで振舞っていることはよくあることだと思う・・・ただ もう 僕はそうしたことすら わずらわしく感じる今日このごろだ たまに 講演会などで 終わってから 近づいてきて 名刺などを渡してくる人がいる そこで何かごにょごにょと話すのだけども 僕には内容がまったくわからないことがある そして 帰りの道で気づくのが ああ あれは社交辞令なのだ ということです そして 心底うんざりするのですね・・・なので最近は名刺すら持っていかないようにしています だって 本当に必要ならば自分で探して連絡して来ますよね?

 自分の名前すら書けない父 たぶん外の世界は恐怖以外の何かを感じたことはないのだと思う あ 母の日だった・・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA