百姓の詩

僕は一瞬に生きる・・・捧げる黄色い花 

4月1こうさいたい花芽
人が生きていく上で 何を根拠にまたは 何を拠り所として生きていくのか 人によって違うと思うけど 僕の場合は その時々の瞬間にある 何年なにかをやったかとか どんな実績があるとか そうした社会的な評価のようなものは 基本的に自分には全く関係ないと思っている そんなことよりも あの一瞬で感じたもの あのときの感覚
あのときの自分を包んでいたもの・・・・そうした いろんな一瞬の場面が 今まで自分を支えてきたし 今でもその感覚を拠り所として これからの自分を展開していく上で ひとつの柱としているつもりだ そして 映画のような素敵なその一瞬の場面は 僕の中では 永遠だし 焼きついて離れない もちろん そこには 喜びもあれば 深い悲しみもある だけど それはすべて 今まで生きてきた上での 大事なものだし 僕にとってはすべて宝物だ・・・
 だから ふと何かしたときに それが 蘇るときがあって その瞬間に舞い戻り 追体験をするたびに 今まで見えなかったものが見えたりもする ああ・・あのとき あの人は そうだったのか・・・と 自分よりもその場にいた他者の視点が 入ってきたり(それがどれほど事実に基づいているのかわからないけど)して さらに 感覚が深まっていくこともある・・・・

 その人とはまだ僕が農業を始める前に出会った 一緒に暮らした期間は3ヶ月ぐらいだったと思う その人はその世界ではパイオニアらしく 今では誰もが知る世界的な著名人でも 呼び捨てにできる立場だったようで(僕は全然知らなかったのだけども) 若いときに日本で最初にアメリカに渡って その世界を一人で切り開いたらしい・・・
僕と暮らしたというよりも 実は その人は当時 新聞沙汰にもなった割と大きな事件の首謀者として(被害総額が3桁億単位といえばなんとなく事件の大きさがわかるかも・・) 逃げている途中で ひょんなことから 僕も山深い別荘のようなところで一緒に暮らすことになった(僕もそのころはいろいろあって某組織からの仕事の依頼をひとつ終えてちょっと身を潜めていた時期でした) 一本道のさらに奥にあるまさに隠れ家のような家で お互い 外に出ることもなく 一緒にテレビを見たり トランプをしたり 僕よりも30歳ぐらい年上だったけど妙にうまがあってずっとしゃべりあって楽しい時間を過ごした・・・・当然 お互いのことは あまり深くは話せない間柄だったけど僕はその人が好きだった  普通の人とは全く違う人生を生きて 好きなことをやり 全く新しい世界を切り開き多くの人を巻き込み 多くの金を動かし 躍動した時代の話は 僕を魅了した・・・明日 どうなるのかわからない・・・・何がやってくるのかわからない そんな空気の中で この時間が終わるときがやってくるのが怖かった 国の組織に捕まるのなら命があるけど 別の場合は・・・ということで その人はすでに覚悟を決めていたようだった そして 終わりは常に突然やってくる・・・・大きな潜水艦のような黒塗りの車が朝やってきて その人は連れて行かれた 最後 僕は助手席の隣に立ってなんとか別れを言わなくちゃ と必死に言葉を探していたのだけど 何も思いつかず お互い これで二度と会うことはないとわかっているから その人も何も感じてないように あさっての方向を見て僕に気を使わせないようにしていた・・・そして 車が動き出す その瞬間に 首をくるっと向けて (根っこ張れよ!根っこ張って生きろよ!俺みたいになんなよ!わかったか!) ・・・・今でもそのときのぴりぴりとした空気を思い出す その言葉が焼きついて離れない そして 数年後 僕は農業の世界に飛び込んだ・・・

 たぶん その人はもう生きてないだろう そして 今日はエープリルフール どこまでが事実でどこまで虚飾なのか 僕にしかわからない だけど そんなことはどうでもいい 僕には今でも大切な瞬間のひとつなのだ・・・

4月に入ったというに 冷たい雨が降る・・・寒くて夏野菜を植える気にならない この冷たさがあのときのことを思い出させてくれた・・・・あの人に捧げる こうさいたいの黄色い花 今出荷しています・・・合掌

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