百姓の詩

土木工事~日常を非日常で過ごす それには汗が必要なのだ

6月9土木工事
今日の写真 今日は一日かけて剣先スコップを振り回して 6月中に立てる資材小屋の場所の整備をする 言うなれば 土木作業です 僕を入れて3人でひたすら 土をならしていく単純作業です 汗だくだく 今日は暑い中
黙々と作業を進める・・・家帰ってきて足がつりそうだったけど 一日体を酷使して働く ということをやっていれば それさえやっていれば 俺は足をすくわれることはない 少なくとも悪いことはしていない 世界や社会に対しても 何ら申し開きする必要はない 僕はそう思っている だから 僕にとっては 肉体労働というのは 人生をかけたテーマでもある 体で稼いでいる限り その限界も報酬も含めて まっとうな世界だと思う 今日の為替も知らないし ニューヨークダウも関係ない 僕は死ぬまでその汗臭い世界で生きて死んでいくだろう それで満足だ・・・

 メルカリ とか言う不思議なサイトで 現金のお金を出品して そのお金自体を買ったりしているそうな・・・時代はどんどん進み 気づけば そのやっていることや 成り立っている仕組みなども 皆目見当もつかない どんどん取り残されているのでしょうか・・・野菜の種を土の上に播いて 発芽するには何が必要で だいたい見当をつければ発芽するかどうかがわかる 発芽して 葉っぱを広げて どんどん成長していくその過程で 植物は何を欲しくて 何が目的で 生態系とどのように関わっているのか・・・彼ら植物の生理のようなものは じっと畑にしゃがみこんで葉っぱを手にしていれば おのずと わかってくる 僕には そうした自分の立っている大地や 空 生態系や地球本来の意志 のようなもの そうした大きなものと対峙して 自分もその意志の中に含まれていて そこと向き合っている自分が好きだ そして その世界を追求していくことは 本当に素晴らしいことだと思っている
 そして 人間というものがなにゆえにこの惑星に生まれて 何をすべきでどんな役割を果たすべき者なのか そこにおける 大いなる意志のようなものに 少しでも触れたい と思っている(その足先すら触れるにはあとどれぐらいのことが必要なんだろう?) そうした思いを抱えて ネイティブアメリカンと暮らし 共に サンダンスを踊ったり ダライラマにも会いにインドに行った そして 今は百姓をして 日々 畑をしている
 翻って この平成という時代で この日本という国で 今現実に行われていることの大半が僕には理解もできないし そのゲームの主旨すらよくわかっていない 50にもなって この社会を構成している大半のことと自分が何の関係もなく そして 参加する資格があるのかもよくわからない 未だに 中学2年の頃の14歳の自分と何が違うっていうんだろう? と思っている 

 (一見退屈に思える日常を 非日常のような意識で過ごすこと そこにチャンスが生まれる 非日常を求めて人は迷いの中をさまようけど 非日常が日常になることを 刹那(せつな)と呼ぶ 半紙一枚を重ねる日常を丁寧に送ることにより 人は 本当の非日常を体験できる そして 体験とあるように それは 体から来る物であって そこを飛ばすことはできないのだ・・・・) ああ・・・右足が吊りそう・・・

 

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