百姓の詩

じゃがいもの芽・・・現代のタブーは死 その現場を見に行きましょう!

12月30じゃがいもの芽
さて 今日はすでに 12月の30 明日が大晦日・・・てことで 仕事に追われる 明日が出荷日なので 今日はいつものごとく 出荷準備をする 古民家にある大量のダンボールの中から ガムテープで一個一個箱を作り 里芋とじゃがいもを 計りで計って 袋詰めしていく 畑から人参を掘りあげてきて 出荷用テーブルに並べて これも袋に詰めていく 毎週 月曜日にこの作業を何年も続けている 種まきから出荷作業まで ほぼ一人ですべてをこなす 最後はヤマトの営業所に野菜の詰まったダンボール箱を届けて終了 本音を言わせてもらえれば 自分自身でお客様のところまで届けたいと思う こうして すべての仕事を 最初から最後まで誰の介入もなくこなせることこそ 農業の醍醐味ともいえる 多の業種だとなかなかそうはいかないことが多いと思うけども それが 農業の欠点でもあり 最大の強みともいえるわけです・・・・

今日の写真 じゃがいもの芽 彼らじゃがいもは生きているから芽を出します そう 彼らはまさにこの寒さの中 生きているんですね・・・ (死) そのものが 現代のタブーとなっているのは 日本のみならず 先進国の多くがそうなのだと思う そして 昨今は それがさらに進んで ネガティブなもの ネガティブな存在 ネガティブな感情 といった 普通に生活していて 感じる わずらわしいものや 悲しいこと そして 苦痛 なるものなど 今の時代ならば 鬱(うつ)もそうだと思うけども そうした感情やら存在すら 見ないことにしたい あってはならない 雰囲気を強く感じる ・・・
 今年一番ユーチューブで再生された 音楽配信の1位とあって 再生ボタンをクリックして見ると きゃりーぱみゅぱみゅの にんじゃりばんばん という歌だった 何分かその映像と歌を見ていると そこには 一切のネガティブなものが微塵もない うーむ それがおもしろいことなのかどうなのか・・・
 畑には 毎日 死がある 種が発芽して成長して役割を終えて冬の寒さに当たって 枯れていき死に至る 虫も死ぬ 毎瞬 死があって 同時に誕生もある そしてそれは 当然のことで 何が悲しいとか 何がうれしいとかではなくて 生態系の掟がそうであって 僕らもその中に組み込まれている そして それが前提で物事を考える ということが 正しい態度 だと思っているのだけども 死 というものを言葉にした瞬間に なんともいいようのない間合いがそこに生まれてしまうのは 今の時代だろうて・・・

 消費者の方を前に講演などをするときには 必ず伝えることがある それは 是非 (とさつじょう)なぜこれ変換できないの? を 見に行ってください と言います 牛や豚を殺すところです 本来ならば 社会見学などで 車の工場なんかに行くよりも このとさつじょうを見せるべきだと思う 僕らは 命をいただいて生きている のだということ・・・(かわいそうだと思うのならば 生命はすべてかわいそうなのです そしてあなたも僕も牛や豚も・・・だからこそ尊厳を持って命を奪うのです)
 いつだったか 中学生が教師に (なぜ人を殺してはいけないのですか?)という質問をされたことがある とニュースだったかであった そこには 自分が殺される側に回る という発想がみじんもないからそうした疑問が湧くわけですな 僕らは 加害者であり被害者でもあり 生命を奪う側でもあり 奪われる側でもある なぜならば 地球に生きる生命体だから・・・死を受け入れて生きていく こと 死を内包して生きていくこと そしていつかは 死と生を同じ次元で捉えることが出来たときに 僕らは 自分の魂に出会えるのかもしれない と思うのです・・・・

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