百姓の詩

じゃがいも虚無 モア止まる ノマド的農業とは・・・・

7月5モア止まる
午前中は 掘り終わって古民家の広間に広げて乾かしたじゃがいもを 保管小屋にいれる その時点で すでにかなりの傷みが出ている 都合6コンテナ 軽く100キロ以上が廃棄となる そして 保管小屋に入れておいて たぶん 2ヶ月もすれば また 何分の1かは また傷んで それを取り除いて廃棄することになるだろう・・・
 じゃがいもを作るということはこうしたこと・・毎年そうなわけで 問題は 怒りとか悲しみとかよりも 心が何も感じない 虚無のような様相になってしまうことだ (有機農業とは所詮そんなものだ) と思ってしまったら そこですべてが終わる こうした 心の痛みを感じないようにしない方向へもっていくことは 防御としてはいいのかもしれないけども それでは 単に処世がうまくなっただけのこと・・・毎回 毎度 だめなときには そのだめなことを 痛みとして 受け取れる感受性が 何年やろうがもてるのかどうか・・・(所詮 毎年1年生の百姓に過ぎん) ってことです

 てことで 午後の仕事は畑仕事 腐ったじゃがいもを 手でひとつひとつ取り除く作業で 気持ちが滅入ったわけだけども そこにさらなる追い討ちが・・・さあ!畑を片付けるぞ! と勢いこんで写真の 草刈り用モアを動かそうと思ったら エンジンがかからない・・・何度やってもだめ 道具を持ってきて 少し 分解してみたが結局のところわからない 今日明日は 土曜日日曜日 いつも修理に出す某クボタは休み・・・てことで この時点でできることは何もない・・・うう 虚無 虚無 虚無 3連発・・・

 すでに 都市では ノマド とかいうのは当たり前のごとくになり 最先端でもないそうな・・・(うーむ 僕はまだ石器時代) 定住もせず カフェなどで移動しながらのパソコン中心に仕事をすることらしいのだけども まあ うらやましい・・・僕は これ 多少なりとも農業でとりこめないのか? と思っています・・・ま 実際は 24時間365日 休みなく畑に縛り付けられて働いているわけだけども 何かしらのヒントがあるように思っています・・・来年 カフェができたらば 週末はお店にいくつもりですが そこにかこつけて 何かほかにできないのかな?と思っています・・・
 農業というのは 現場は当然 畑であって それを動かすわけにはいきませんが 他に何か ソフトのことでできないのかな・? とぼんやり考えています 今はもちろん 5ヘクタールを回さねばなりませんので そんな 余裕は一ミリもありませんが 将来は 何かもう少し 動けるようにならないと たぶん僕自身が持ちません 旅に出ようとは思ってませんが 何かしらの動きができないものかなあ と 漠然と思うことで 多少は気が晴れるから それだけでもいいのかもしれないですけどね・・・・

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