百姓の詩

雪化粧かぼちゃ熟す 生命の目的と僕の魂 そして現世のわずらわしさよ・・・

10月11雪化粧
今日の写真 出荷中の 雪化粧かぼちゃ こうして中を割ると 美しい果肉が見える 少しずつ熟成されているのがわかる かなり 甘みも乗ってきた さつまいもとあわせて 秋の味覚・・・・どうぞ 堪能くださいませ・・

 食育 なる言葉があるわけだけども たしかに 正しい食事 というものを教えることはいいことだとは思う ただ 今の時代に 何をもって正しいのか? は どこに軸を置いて 何を中心とするのかによって変わってくる話 今の時代は すべてにおいて 食 そしてその源である 命 という次元が軽んじられていて それにとって変わっているのが 効率 や 時間 かもしれない 早く 合理的で 誰もが見てわかりやすい ということが重要であるわけですな・・・・命はどこから産まれるのか そこには 大いなる謎があって カオスがあって 漆黒の暗闇から生命は生まれて その 目的すら 人間には 窺い知れない なにゆえに 雨が降って 時に大地は揺れ 津波が襲う
生態系は 人間にとっては コントロールできないばかりか 理不尽の塊 百姓である僕は 日々 その恩恵と理不尽とを交互に受け取っている・・・・生命 というのは果たしてなんでしょうね・・・その目的が進化 であるとして どこに辿り着けばOKってことなんでしょうか? 
 
 魂 というものに関して 魂は 一人に一つ・・・・僕にもひとつの魂があるとして その入り口を見たい とか思って サンダンスを踊ったり インドを旅したりしてきて今は百姓をしているわけだけども 魂 というものはなんとなくは感覚としてはわかりやすかったりする 言葉や理屈では説明できないのだけども 自分の魂 というものに関しては何度か 両手で触れたことがあるように思うのは錯覚ではないと思っている そして いつしか 死んであの世に行けば 魂とひとつになれる とすれば そこそこ楽しみだと思っている・・・たまに思うわけです なんと 生きていくということは わずらわしいことかと・・・野菜を作って 売って 生計を立てる 誰もがなんらかの職を得てそれを全うせねばならないこの現世・・・まさに これこそが 修行 なのだと・・・4日間飲まず食わずで踊るサンダンスの方が 僕にとっては楽なことのように思えます そこには何らの矛盾や バランスのようなものはありません 心を思うように解き放てる気がします しかして 現世はそうではありません この平成という時代に即して 物を考え 周囲を見渡し えーと・・・こういうときは どう言えば良かったかな どう振舞えば良かったかな といつもTPOを意識せねばなりません そして ものごころついたときから それが特大に苦手でこの歳まで来てしまい 今はもう 半ばやけくそで投げやりになっております・・・(葬式で笑ってはいけない ぐらいはわかりますよ・・・でも絶対みんな一度は思ったでしょう?坊主の頭と木魚叩きたいって・・時にそうしたことをやってしまうのですよ俺は)

 生命の目的 そして 僕の魂・・・そこには 密接に結びついている何かがあるのでしょう でも それは 目に見えるわかりやすい なんらの合理性もありません 数字や時間の観念すらないのかもしれません 正しい 間違っているといった ものから遠く離れた 厳とした世界 畑仕事を一人でやっている夕方 暗くなる前 家に帰るその前に いっそのこと どうか俺を連れ去って欲しい と願うときがあります でも 赦されないのですね・・・まさに 理不尽ですよ・・ま 雪化粧かぼちゃの 果肉が時に柔らかく 熟すように 俺の内面もいつかは熟すのでしょうかね・・・(ま ないわな)

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